東京都や国指定の伝統工芸品として有名な「江戸切子」。
江戸切子はその特徴的な文様と繊細なカット技術により、光を乱反射させることで美しく輝きます。
そんな江戸切子は写真映えしやすく、テレビやSNSで見かける機会が増えたことでしょう。
この記事では、日本を代表する伝統工芸品「江戸切子」のすごさや魅力を分かりやすく解説していきます。
江戸切子のすごさや魅力を知りたい方、江戸切子が何なのか今ひとつ分からない方は参考にしてみてください。
目次
江戸切子とは?
「江戸(現:東京都)」でつくられた「切子」のことです。
【江戸】地域の名前。旧江戸地域、現在では東京都。
【切子】ガラスの表面をけずる技法のこと
※文様(もんよう)→模様(もよう)
つまり「江戸切子」とは、切子によって表面に文様づけされた江戸/東京都産のガラス細工をさします。
切子自体がガラスをけずる技法をさしており、文様やデザインが「江戸切子」と呼ばれる訳ではありません。
江戸切子は商標登録されている
結論から言うと、「江戸切子」は江戸切子協同組合によって商標登録されており、組合員さん以外が作成した物は江戸切子と名乗ることができません。
また、江戸切子の定義としては以下の4つがあります。
1.ガラスである
2.手作業
3.主に回転道具を使用する
4.指定された区域(※江東区を中心とした関東一円)で生産されている
※区域の指定は、江戸切子協同組合に帰属します。
引用:江戸切子協同組合公式HPより
以上の4つを満たすことで、正式に江戸切子と名乗ることができるのです。
見事な文様づけを、機械に頼らず手作業にて制作する高い技術と完成度が認められ、江戸切子の素晴らしさは日本国内外から高い評価を受けています。
そんな江戸切子は、日本を代表する工芸品となり、今日まで受け継がれてきています。
江戸切子ってなにがすごいの?
江戸切子は見事なカット技術と高品質なガラス製品である点から東京都や国の伝統工芸品として評価されるようになりました。
・1985年に東京都の伝統工芸品産業に指定 (昭和60年)
・2002年に経済産業大臣指定伝統工芸品に指定 (平成14年)
そんな伝統工芸品として有名な江戸切子ですが、具体的にどんな点がすごいのかを知らない方もいることでしょう。
そんな方へ向けて、江戸切子はなにがすごいのかを深堀りするポイントとして以下の3つをご紹介します。
1.繊細な文様を手作業で制作する
2.さまざまな模様をけずりわける(代表的な文様だけでも14種類)
3.グラスやコップだけじゃなくアクセサリーまで形はさまざま
この先の記事を読み進めるにあたって、以上の3つを意識してみてください。
江戸切子の歴史(はじまり~現在まで)
江戸時代末期、大伝馬町にビードロ屋(ガラス商)を営んでいた加賀屋久兵衛という人がいました。
その加賀屋久兵衛が、イギリス製のカットグラスをまねてガラスの表面をけづり文様づけしたのが江戸切子の始まりだと言われています。
明治期
明治時代に入ると以下の2つの相乗効果により、江戸切子は盛んにつくられるようになりました。
・高度な技術を持つカットグラス技師の指導により、切子職人の技術が向上
・ガラス器が日本人の生活に普及しはじめた
明治14年にカット技術の指導者としてイギリスからカットグラス技師を招き、日本の職人が指導を受ける機会を設けました。
また、カット技術を学んだ切子職人により、江戸切子をつくる技法が確立されました。
明治時代に確立された技法は現在まで受け継がれており、活用されています。
大正期
大正時代には、素材のガラス自体の品質が向上しました。
ガラスの品質向上は具体的に以下の2つによるものです。
・カットグラス用のガラス素材の研究が進んだ
・クリスタルガラスの研磨技術が開発された
ガラス素材の研究やクリスタルガラスの研磨技術が開発されたことで、江戸切子本体の質も向上しました。
伝統工芸品に認定されている(現在)
明治期、大正期と向上してきたカット技術やガラスの品質が認められ、江戸切子は伝統工芸品として東京都・国の2つから指定されるようになりました。
・1985年に東京都の伝統工芸品産業に指定 (昭和60年)
・2002年に経済産業大臣指定伝統工芸品に指定 (平成14年)
こうして江戸切子は、今日の日本を代表する工芸品になるまで成長しました。
すべてが手作業の江戸切子の制作工程
ここでは、江戸切子の制作工程を順に解説していきます。
江戸切子の制作過程は大きく分けて以下の6つに分けられます。
注目してほしいポイントとしては、以下の工程が手作業でつくられている点です。
・割りだし(Waridashi)
・粗ずり(Arazuri)
・三番がけ(Sanbangake)
・石がけ(Ishikake)
・みがき(Migaki)
・バフがけ(Bafugake)
それでは順に解説していきますが、イメージとしては「目印の線を書く→大まかにけずる→細かくけずっていく→表面をみがく→仕上げる」の流れです。
割りだし(Waridashi)
まずは、文様をけずるための線を「たて」「よこ」とガラスに書いていきます。
現在はマーカーで線を書いていますが、昔は筆で書いていたそうです。
職人さんは、割りだしで書いた線をもとに手作業でカットしていきます。
そのため、割りだしは文様をカットする際の大切なガイドラインになります。
粗ずり(Arazuri)
割りだしで書いた線をもとに、大まかなデザインを決めてガラスの表面をカットしていきます。
けずる程度としては、完成の約半分から3分の2ほどの深さほど。
割りだしで書いた線を頼りに手作業でカットできるのは、職人さんのすごさだと思います。
むかしは、金剛砂(こんごうしゃ)という粒の荒い砂を円盤につけ、その円盤を回転させながらガラスをけずっていたそうです。
現代では、金剛砂のかわりに硬い鉱物として有名なダイヤモンドを使ったダイヤモンドホイールという切削(せっさく)工具を使用しています。
三番がけ(Sanbangake)
三番がけでは、ダイヤモンドホイール(切削工具)に水をつけながら粗ずりでカットした部分を、より細かく滑らかになるようにけずっていきます。
基本的にカット作業は、三番がけが最後で次の工程から調整や仕上げに入ります。
そのため、切子のデザインが決まる重要な工程であり、正確かつ繊細な技術が求められます。
石がけ(Ishikake)
石がけは、けずりのなかでは最後の仕上げとなる工程です。
三番がけで滑らかにしたカット面を均一になるように、砥石(といし)のついた円盤でけづります。
石がけによりガラスの表面が滑らかにならない場合、次の工程の「みがき」をしてもきれいに輝かないとのこと。
みがき(Migaki)
みがきでは、カット面の光沢をだすため、回転式の木盤や樹脂系パッドと水に溶いた研磨剤を使用しガラスの表面を磨きます。
また、研磨剤を使うのではなく、ガラスを薬品に浸して光沢をだす「酸みがき」という方法もあります。
酸みがきは薬品につけるだけのため、手作業の工程が多い職人さんの強い味方です。
がその反面、手作業のみがきと比べて仕上がりが劣ってしまうデメリットもあります。
バフがけ(Bafugake)
最後は、フェルトや綿などの布製の円盤と細かい粒子の研磨剤を使い、みがきの仕上げをしていきます。
研磨剤には、水に溶ける酸化セリウムが使われます。
以上の6工程を経て、江戸切子は伝統的かつ見事な文様と素晴らしい輝きを放つガラス細工として完成するのです。
職人さんが、一つ一つ手作業で作っている江戸切子は、機械で大量に作るグラスなどと比べて値段が高くなります。
ですが、一つ一つ丁寧に手づくりされた江戸切子は、機械で大量につくるグラスではまねることのできないほど魅力的な光を放ちます。
代表的な文様だけでも14種類
江戸切子に施された見事な文様は、一見すると同じように見えますが実は種類が多いです。
そしてその文様は、代表的な文様だけでも14種類あります。
・矢来文(Yarai)
・魚子文(Nanako)
・麻の葉文(Asa-no-ha)
・七宝文(Shippo)
・六角籠目文(Rokkaku-kagome)
・八角籠目文(Hakkaku-kagome)
・菊繋ぎ文(Kiku-tSunagi)
・菊籠目文(Kiku-kagome)
・菊花文(Kikka)
・笹の葉文(Sasa-no-ha)
・芯無し蜘蛛の巣文(Shin-nashi Kumo-no-su)
・芯有り蜘蛛の巣文(Shin-ari Kumo-no-su)
・亀甲文(Kikko)
・花切子 ぶどう(Hanagiriko-grape)
代表的な文様は、麻の葉や菊の葉、竹で編まれた籠などを表しています。
どれも特徴的かつ魅力的な文様ですが、文様それぞれに個別の意味がある点もまた江戸切子の面白さだと言えます。
しかし、文様は代表的な14種以外にもあり、そのすべてを記憶してけずりわけるのは至難の業でしょう。
そのため、数パターンの文様を専門でけずる職人さんがいたり、何種類もの文様を記憶してけずりわける職人さんもいたりと、さまざまです。
グラスからアクセサリーまで江戸切子の形はさまざま
江戸切子と聞くと、「グラス」や「タンブラー」が有名かと思います。
しかし、江戸切子自体はガラス細工であるため、江戸切子の種類もさまざまです。
では、江戸切子の種類はどれくらいあるのかを簡単にまとめました。
・タンブラー
・ミニグラス
・オールドグラス
・ぐい吞み
・冷酒グラス
・ロックグラス
・ワイングラス
・スリムグラス
・食器(皿、茶碗、小鉢など)
・花瓶
・一輪挿し(花瓶)
・ピアス
・ネックレス
・ペンダント
・カフスリング
江戸切子はグラスやコップからピアスやネックレスなどのアクセサリーまで形はさまざまです。
また、江戸切子とは言えないかもしれませんが、江戸切子を技法を応用してスマホケースがつくられた例もあります。
なんで「江戸」で発展したの?
江戸切子のすごさはわかったけど、それって江戸じゃなくても良かったんじゃない?なんで「江戸」で発展したの?と疑問に思うかもしれません。
確かに、切子の技術があれば日本中どこでも良かったかもしれません。
現に薩摩藩(現;南九州)では、幕末に「薩摩切子」が誕生した後、江戸切子と区別される存在にまで成長したほどです。
じゃあ、なぜ伝統工芸品となるまで江戸の切子技術が発展したのか。
理由は大きく分けて以下の3つが考えられます。
・江戸でお店を営んでいた加賀屋久兵衛という人が初めて江戸で切子をつくった
・切子の技術を上げるために高いカット技術をもつイギリス人を東京に招いた
・福島でとれたガラスの材料を船で運ぶにあたって、荒川が流れている江戸は都合が良かった
などが考えられます。
1つ目と2つ目の理由は、【江戸切子の歴史(はじまり)】でも解説しましたが、加賀屋久兵衛がイギリスのカットグラスをまねた点と、カットグラス技師を江戸に招いたことが挙げられます。
3つ目の理由は、歴史的背景について簡単に解説します。
ガラスの材料を福島から江戸に運んでいた
ここでは3つ目にあげた「ガラスの材料を船で運ぶにあたって、荒川が流れている江戸の方が都合が良かった」点に関して簡単に説明します。
江戸には、今でも存在する「荒川」という川が流れていていました。
そして、福島でとれたガラスの材料を船で運ぶのために荒川が活用されていました。
そのため、ガラスの材料ぶ都合上、荒川が流れている「江東区」や「墨田区」で江戸切子が発展したのだと考えられます。
むかしは現代と違い「電車」や「車」は、まだつくられていませんから、大きな荷物や大量の荷物は船で運んでしました。
そのため、むかしは船が動きやすくて荷物を積んだり降ろしたりしやすい川や海沿いの町の方が発展していたのです。
最後に
イギリス製のカットグラスをまねてつくったのが始まりと言われている江戸切子。
明治時代に確立されたつくり方が「伝統」として変わらずに現在まで受け継がれています。
しかし、「伝統」とは単につくり方を受け継ぐだけではありません。
その時代に合わせた形で江戸切子をつくることもまた、「伝統を受け継ぐ」ということなのでしょう。
新しい時代に合った形や様式に対応していく江戸切子の今後に目が離せませんね。