みんなが集まるハレのときなど、ちょっとした贅沢をしたいときの食卓にあがる「お刺身」。
子供にも大人にも人気ですよね。
私も大好きです!
今回は、そんなみんな大好き「お刺身」について、名前の由来、お醤油との関係、芸術性という3つの観点からご説明します。
ヒレを刺したから「刺身」?
日本は海が近くにある島国なので、昔から生の魚を食べる文化があり、多種多様のお魚を切り身にして食べていました。しかし、切り身にするとひとつ困ることがあります。それは、「切り身にされた魚の種類がわからない!」ということ。
これは今日の私たちも共感できることですよね。赤身のお魚、白身のお魚くらいの区別はつきますが、ちょっと判別しにくいものもありますよね。
昔の人々は、この不都合を乗り越えるために、その魚のヒレを切り身に”刺し”て魚の種類を示し、お皿に盛り付けた、と言われてます。このことから、魚の切り身は「刺身」と呼ばれるようになったようです。
次第に、この”ヒレを刺して魚の種類を示す”という習慣は廃れましたが、名前だけが現代にまで残った、とされています。
武家社会では「切る」が不吉なので「刺身」になった?
「ヒレ」とは別の説では武家社会では刀の文化なので「切り身」の「切る」という字が不吉であると考えられたため、「刺身」になった、という説もあります。
たしかに誰しも刀で「切られる」のは想像したくないですもんね。当時は忌詞(いみことば)として嫌われていた言葉だったようです。
でも「刺される」のも嫌ですけどね...
刺身の言葉の由来は「ヒレ」の説と「武家社会」の説の主に2つの説で分かれているようです。
醤油の普及で花開く”お刺身文化”
現代の私たちは、一般的にわさびなどの薬味とお醤油で「お刺身」を食べます。
しかし、お魚を切り身にして生食する文化がありつつも、お醤油がまだ登場していなかった鎌倉時代には、人々は、「お刺身」を、膾(なます)にして食べたり、わさび酢やしょうが酢と合わせて食べていました。(膾(なます)とは、生魚を細く切り刻み、酢で味付けする調理法のことです。)
当時は、漁師などの限られた人によって、食べられていたようです。
室町時代になると、お醤油が登場し、現代の私たちと同じように、お醤油につけて「お刺身」を食べるようになり、この食べ方が一般的になります。しかし、この時代は、まだお醤油が高級品であったため、一部の身分の高い人々のみが「お刺身」を食べることができたようです。
一般の庶民に浸透するのは、お醤油の生産が飛躍的に伸びた、江戸時代のこと。ここから、日本人に「お刺身文化」が一気に花開いたようです。
お醤油の歴史とも深い関係があるなんて、当たり前のようで意外な事実ですね!
「お刺身」に宿る芸術性
懐石料理屋などに行くと、出てくる立派なお作り。きれいに切られた「お刺身」に、つまや大葉、わさびが絶妙な配置で盛り付けられています。「お刺身」は、ただ味のおいしさを追求したものではなく、”目で見て楽しむもの”という新たな価値を加えられたものなのですね。
日本人の繊細な考えが窺いしれます。
もちろん、「お刺身」を盛り付けるお皿も重要な役割をしていると言えます。例えば、「お刺身」の鮮度を表すために、「お刺身」をまな板を想起させる平らなお皿に盛り付けるようになったと言われています。
盛り付けるお皿も含めた、「お刺身」の芸術性なんですね!
おわりに
いかがでしたでしょうか?
「お刺身のあれこれ」、楽しんでいただけたでしょうか?
今度、「お刺身」を食べる機会には、誰かにうんちくを垂れてみてもいいかもしれませんね!笑
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