置賜紬

置賜紬の歴史~素朴な風合いと雅な手触り~

置賜紬の歴史を年代別にかんたんに紹介

8世紀初頭: 置賜紬の起源とされる。
慶長年間 (1596年~1615年): 上杉景勝により産地が確立され、織物生産が奨励される。
江戸時代初期: 青苧の栽培が始まり、米沢藩による織物産地としての発展が始まる。
9代目米沢藩主上杉鷹山時代: 原料の自給自足を目指し、越後から職人を招いて織物の品質向上に取り組む。
江戸時代後期: 凶作により青苧織物の生産が困難になり、絹織物の生産に移行する。
大正時代 - 昭和時代初期: 長井や白鷹地区で絹織物の生産が盛んになる。
20世紀中頃: 力織機の導入により機械化が進むが、伝統的な手織り技術も保持される。
1974年: 伝統的工芸品産業の振興に関する法律が交付され、地域の紬が「置賜紬」として保護される。
1976年: 国の伝統的工芸品に指定される。

置賜紬の歴史(詳細)

置賜紬の歴史は、日本の山形県米沢地方に根付いており、その起源は8世紀初めにさかのぼるとされています。

この地域での織物の生産は江戸時代の始めから始まり、米沢藩初代藩主の上杉景勝によって特産物として奨励されました。慶長年間(1596年~1615年)には、上杉景勝の支援を受けて産地が確立し、織物の原料である青苧の栽培が始まりました。9代藩主上杉鷹山の時代には、原料生産地としての地位を確立し、越後方面に出荷する織物産地を目指して品質向上のため越後から職人を招いて研究が進められました。

凶作の際には青苧を原料とする織物作りが困難になったため、桑の栽培と養蚕に移行し、絹織物の生産に転換しました。大正・昭和時代に入ると、絹織物の生産が盛んになり、米沢市に近い長井や白鷹でも生産が行われるようになりました。置賜紬は白鷹板締小絣や米琉板締小絣などの伝統的な技法で生産されており、草木染紬としても知られています。近代化の進行とともに力織機が導入されるなどの機械化が進みましたが、伝統的な手織り技術を守る職人も存在し続けています。

1974年の伝統的工芸品産業の振興に関する法律の交付を機に、「置賜紬」として保護・発展が図られ、1976年には国の伝統的工芸品に指定され、その価値が認められ現在に至っています。

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