甲州水晶貴石細工

甲州水晶貴石細工の歴史~天然と技術、調和が織りなす逸品~

甲州水晶貴石細工の歴史を年代別にかんたんに紹介

11世紀: 御嶽昇仙峡から水晶の原石が発見された。
19世紀: 金剛砂をまいて水晶を磨く技法が考案された。
1830-1844年: 京都の玉造り職人を迎え、水晶加工の始まり。
1854-1859年: 土屋家(現土屋華章製作所)にて水晶や翡翠を使った工芸品の注文があった。
19世紀末期: 水晶工芸作品が第1回パリ万国博覧会に出展。
20世紀初頭: 南米やアフリカからの貴石輸入と設備電化、技術の確立。
1976年以降: 経済産業省による伝統的工芸品として指定。

甲州水晶貴石細工の歴史(詳細)

甲州水晶貴石細工の歴史は、約1000年前の平安時代に、山梨県北部山岳の御岳昇仙峡の奥地金峰山で水晶の原石が発見されたことに始まります。当初、水晶は原石のまま飾られ、信仰の対象とされていました。戦国時代には、武田勝頼の遺品として水晶数珠が存在しており、水晶細工が行われていたことが示されます。

江戸時代の天保年間(1830~1844年頃)には、京都の玉造り職人が招かれ、鉄板の上に金剛砂をまいて水晶を磨く技法が考案されました。この技法は後に甲州研磨として定着しました。安政年間(1854年~1859年)頃には、土屋家(現土屋華章製作所)が水晶や翡翠を使った数珠や帯留め、根付けなどの注文を受けており、産地としての確立が見られます。

明治時代に入ると、南米やアフリカ諸国から水晶や瑪瑙、虎目石などの貴石が輸入され、設備の電化が進み、より精密で高度な技術が確立されました。この時代には、美術工芸品や装身具などの生産も始まり、第1回パリ万国博覧会に出展されたことで、その彫刻研磨技術が国際的に高い評価を受けました。

戦後、輸出が急増し、製品の80%が海外向けでしたが、昭和50年代のドルショックや中国製品との競合を経て、高度な技術を駆使した国内向けの美術品へと転換を遂げました。1976年からは、経済産業省によって伝統的工芸品として指定され、現在もその地位を保持しています。このように甲州水晶貴石細工は、長い歴史を通じて技術の進化を遂げ、国内外で高く評価されている伝統工芸です。

-甲州水晶貴石細工