井波彫刻

井波彫刻の歴史~躍動感あふれる表情豊かな彫刻~

井波彫刻の歴史を年代別にかんたんに紹介

1390年 (明徳元年):本願寺五代綽如上人により瑞泉寺が建立される。
1581年 (天正9年):瑞泉寺が佐々成政の兵火により焼失。
1594年 (文禄3年):前田利長公から井波大工10人に居屋敷米を扶持。
1611年 (慶長16年):瑞泉寺の諸堂が井波拝領地大工によって再建される。
1762年 (宝歴12年):井波大火により瑞泉寺類焼する。
1774年 (安永3年):瑞泉寺再建、井波拝領地大工が彫刻技法を習得。
1792年 (寛政4年):瑞泉寺勅使門「獅子の子落とし」完成。
1804年 (文化1年):前川三四郎が瑞泉寺山門正面唐狭間雲水一疋龍を彫刻。
1870年代 (明治初期):一般住宅欄間等の新分野を開拓。
1879年 (明治12年):瑞泉寺本堂、太子堂を焼失。
1885年 (明治18年):瑞泉寺本堂竣工。
1914年 (大正3年):サンフランシスコ万国博覧会で大島五雲作書院欄間が名誉金賞を受賞。
1931年 (昭和6年):台北西本願寺別院彫刻完成。
1933年 (昭和8年):東京築地本願寺の彫刻に井波彫刻師が参加。
1942年 (昭和17年):富山県木彫刻協同組合を創設。
1947年 (昭和22年):富山県木彫刻工業協同組合を設立、井波彫刻技能者養成所開設。
1975年 (昭和50年):「伝統的工芸品」として指定を受ける。
1977年 (昭和52年):井波彫刻協同組合に改称。
1979年 (昭和54年):井波彫刻伝統産業会館、井波木彫刻工芸高等職業訓練校が完工。
1991年 (平成3年):いなみ国際木彫刻キャンプ開催。
1993年 (平成5年):井波彫刻総合会館完工。

井波彫刻の歴史(詳細)

井波彫刻の歴史は、14世紀の明徳元年(1390年)に本願寺五代綽如上人によって越中国井波に建立された瑞泉寺から始まります。瑞泉寺はその後、何度も火災に見舞われ、江戸時代中期には京都本願寺から御用彫刻師・前川三四郎が派遣され、地元大工番匠屋九代七左衛門らが彫刻技法を習得し、これが井波彫刻の始まりとされています。特に寛政4年(1792年)に瑞泉寺勅使門の「獅子の子落とし」彫刻が完成し、これは井波彫刻の代表作であり日本彫刻史上の傑作とされています。

明治時代に入ると、一般住宅用の井波欄間の形態が整えられ、初代・大島五雲は欄間彫刻の研究に没頭しました。昭和時代には、寺社彫刻だけでなく、一般住宅の欄間や置物にも力が注がれ、全国各地の寺社仏閣の彫刻を手がけるようになりました。戦後、漆の輸入が途絶えた時期もありましたが、分業化や共同事業によって再び勢いを取り戻し、昭和50年(1975年)には国の「伝統的工芸品」に指定されました。

井波彫刻は寺社彫刻から始まり、明治時代以降には一般住宅用の彫刻にも広がりました。その発展には、富山県における家を大事にする文化や散居村での暮らし、豊かな自然環境が背景にあります。特に八日町通りの商業の街が井波彫刻の工房で賑わうようになり、井波は観光の街としても知られるようになりました。井波彫刻は富山県の持ち家率や一戸当たりの延べ面積が全国1位という背景もあり、室内装飾に手間をかける文化の中で育まれてきました。このようにして井波彫刻は、時代と共に進化し、今日では多くの名工を輩出し、日本の伝統工芸として高い評価を受けています。

-井波彫刻