勝山竹細工

勝山竹細工の歴史~青竹特有の強靭な美しさ~

勝山竹細工の歴史を年代別にかんたんに紹介

1860年頃 - 勝山竹細工の起源。真庭市月田地区で農家の暮らしや作業用に「そうけ」と呼ばれるかごやざるを作り始める。
明治時代 (1868年~1912年) - 竹細工の販路が中国山地一帯に広がり、多くの職人が製作に従事。
1959年 - 勝山竹工協同組合を結成し、活性化に取り組む。
1979年 - 国の伝統的工芸品に指定され、全国的に知られるようになる。
1997年 - 職人の高齢化や後継者不足で勝山竹工協同組合が解散。しかし、伝統を受け継ぐ創作活動は継続。

勝山竹細工の歴史(詳細)

勝山竹細工は、江戸時代末期の1860年頃、真庭市月田地区で始まったとみられる実用的な工芸品です。当時、農家の暮らしや作業用に「そうけ」と呼ばれるかごやざるを作り始めたことが起源とされています。これらの製品は真竹を使用し、皮むきや晒し(漂白)等の加工を施さず、自然の青竹の美しさを活かしたもので、竹細工が地区の主要な生業となりました。販路は中国山地一帯に広がり、明治時代以降も多くの職人が製作を行い、1959年には勝山竹工協同組合を結成し、活性化に取り組みました。1979年には国の伝統的工芸品に指定され、勝山竹細工は全国的に知られるようになりましたが、1997年には職人の高齢化や後継者不足で協同組合は解散しました。それでも、勝山竹細工の伝統を受け継ぐ創作活動は現在も続けられています。

勝山地域における竹細工製造の技術が確立されたのは同じく1860年頃とされていますが、実用的な用具のため、当時の品物がほとんど現存しないことから、その起源は不明確です。しかし、1860年の山谷家古文書や1877年の堀家酒屋免許願書に記載があることから、当時重要な容器として流通していたことが想定されます。特に、「大ぞうけ」は籾などの穀物の運搬・計量容器として用いられ、農家にとって必需品でした。現在では、農具類だけでなくパン籠や盛り籠、花器なども製作されています。

このように勝山竹細工は、160~170年前から製造されていたと想定され、その存在は文書によって裏付けられています。庶民の生活用品や農作業になくてはならない必需品として広く普及し、時代の変遷とともに販売される地域が拡大し、全国的に知れ渡るようになりました。その歴史の中で、竹細工職人を自家に泊まり込ませ、年間で必要な分の製品を作らせる習慣もあったことが伝えられています。勝山竹細工は、その技術と伝統を現代にも伝える貴重な文化遺産として、今もなお価値を持ち続けています。

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