福山琴

福山琴の歴史~華麗な装飾と音色~

福山琴の歴史を年代別にかんたんに紹介

元和5年(1619年)
- 水野勝成が福山に城を築く。この時代に福山琴の歴史が始まる。

江戸時代末期(文化年間)
- 琴の名手葛原勾当が京都で箏曲を伝授された後、帰郷して備後・備中で活躍し、福山琴の名を高める。

昭和60年(1985年)
- 福山琴が国の「伝統的工芸品」に指定される。

平成18年(2006年)
- 福山琴が「地域団体商標」(地域ブランド)に登録される。

現代
- 福山琴は全国生産量の70%を占め、楽器として初めて伝統的工芸品に指定されたことがある。最高級の桐材を使用し、桐材の乾燥から製造までほとんどが手作業で行われる。美しい音色と長年の使用に耐える耐久性を持つ優秀な琴として知られ、全国的に認められている。

福山琴の歴史(詳細)

福山琴の歴史は、元和5年(1619年)に徳川家康のいとこである水野勝成が福山に城を築いた時代に遡ります。福山藩主としての水野勝成の時代から、歴代藩主による奨励もあり、福山の城下町では歌謡や音曲が盛んに行われました。この文化的背景は、福山琴の生産土壌を作り出しました。江戸時代の終わり、文化年間には京都で箏曲を伝授された琴の名手、葛原勾当が帰郷して備後・備中で活躍し、福山琴の名を高めたとされています。

福山は、風光明媚な瀬戸内海沿岸に位置し、全国生産量の70%を占めるなど、琴の生産地として広く知られています。福山琴は、最高級の桐乾燥材を使用し、精巧な細工が施され、優れた音色、甲の木目の美しさ、装飾の華麗さで知られます。これらは、経験豊富な琴職人の技術によって生まれています。製造工程は今もほとんどが手作業で行われ、桐材の乾燥までに1年、その後の製造工程には長い時間と手間がかかりますが、美しい音色と長年の使用に耐える耐久性を持つ優秀な琴が生み出されます。

「春の海」で有名な箏曲家、宮城道雄の父菅国治郎は福山・鞆の浦の出身で、先祖代々の墓は鞆の南禅坊と円福寺にあります。このことから、「春の海」の舞台は宮城道雄が少年の頃よく訪れた鞆の浦であると言われています。

1985年(昭和60年)には国の「伝統的工芸品」に指定され、2006年(平成18年)には「地域団体商標」(地域ブランド)に登録されるなど、福山琴はその技術と伝統が高く評価されています。

-福山琴