川尻筆

川尻筆の歴史~幅広い需要に対応する伝統の筆~

川尻筆の歴史を年代別にかんたんに紹介

天保9年(1838年)
- 川尻町の菊谷三蔵が摂州有馬から筆を仕入れ、寺子屋などに販売したことで川尻筆との関わりが始まる。

安政6年(1859年)
- 上野八重吉が有馬での筆修行から帰郷し、出雲・松江から筆職人を雇い、「ねりまぜ」と「ぼんまぜ」を扱い、川尻筆の製造が始まる。

明治時代(1868年 - 1912年)
- 学校の制定や小学校令の改正により筆への需要が高まり、川尻筆が大いに発展。特に明治末期から昭和の初めにかけて隆盛を極める。
- 1892年、毛筆軸彫刻用の三角刀が考案される。
- 1903年、法人組織の会社が設立され、川尻筆の発展が同業者から注目される。

第二次世界大戦中
- 川尻筆の製造が一時衰えるが、伝統と技術は途絶えず。

昭和42年(1967年)
- 「川尻毛筆事業協同組合」が組織され、経営の合理化・近代化が実現。

昭和46年
- 学校習字が復活し、筆製造が再び盛んになる。

昭和54年(1979年)
- 「ふるさと産業」の指定を受ける。

平成16年(2004年)8月31日
- 国の「経済産業大臣指定伝統的工芸品」に指定される。

川尻筆の歴史(詳細)

川尻筆の歴史は、江戸時代の末期にさかのぼります。天保9年(1838年)、川尻町(現在の広島県呉市東部に位置し、野呂山や瀬戸内海の豊かな自然に恵まれた温暖な地域)の菊谷三蔵が摂州(現在の兵庫県)有馬から筆を仕入れ、寺子屋などに販売したことが、川尻筆との関わりの始まりです。当時、筆の製造はすぐには受け入れられませんでしたが、安政6年(1859年)に上野八重吉が9年間の有馬での筆修行から帰郷し、出雲・松江から筆職人を雇い、高品質の「ねりまぜ」及び大量生産の「ぼんまぜ」を扱ったことで、川尻筆が最初に手がけられました。この技法は、特に高品質で高級な筆を作るのに適しており、「練り混ぜ」技法による筆づくりが主流となっています。

明治時代に入ると、学校の制定や小学校令の改正により筆への需要が高まり、川尻筆は大いに発展しました。特に明治末期から昭和の初めにかけては、川尻筆の製造が隆盛を極めました。1892年には毛筆軸彫刻用の三角刀が考案され、1903年には後発ながらも発展が注目される産地となり、全国シェアは熊野筆に次ぐものとなっています。

第二次世界大戦中は一時衰えましたが、その伝統と技術は途絶えることなく、今もなお受け継がれています。戦後は一時不振時代がありましたが、昭和42年(1967年)に「川尻毛筆事業協同組合」が組織され、経営の合理化・近代化が実現しました。昭和46年には学校習字が復活し、筆製造は再び盛んになりました。昭和54年(1979年)には「ふるさと産業」の指定を受け、平成16年(2004年)8月31日には国の「経済産業大臣指定伝統的工芸品」に指定されています。これらの歴史的背景から、川尻筆は高級筆の産地として全国的に知られるようになり、その技術と伝統は価値あるものとして現代に引き継がれています。

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