八重山ミンサーの歴史を年代別にかんたんに紹介
16世紀初め - 八重山ミンサーが琉球王朝時代に既に存在していたことが古い文献からわかる。
17~18世紀頃 - 木綿発祥の地であるインダス川流域やインドから八重山ミンサーの技法が伝来したと推定される。また、アフガニスタンから中国を経由して八重山地方に伝わったとする説もある。
1895年(明治28年) - 無地や縞模様が主流だった芭蕉布に絣模様を取り入れたことが、工芸品として発展するきっかけとなる。
1905年(明治38年) - 高機が導入され、技術革新と生産拡大の気運が高まる。
1907年(明治40年) - 根路銘で芭蕉布品評会が開かれ、副業としての生産が奨励される。
1939年(昭和14年) - 東京三越で特産品即売会に喜如嘉の芭蕉布が出品され、注目を浴びる。
1945年(昭和20年) - 第二次世界大戦後、直ちに生産を再開し、芭蕉布の復興に取り組む。
1972年(昭和47年) - 芭蕉布が国の重要無形文化財に指定され、喜如嘉芭蕉布事業協同組合の設立へと繋がる。
八重山ミンサーの歴史(詳細)
八重山ミンサーは、石垣市や竹富町で生産される木綿素材の平織り織物で、その起源については定かではありませんが、17〜18世紀頃の琉球王朝時代にインダス川流域やインドから伝来したと推定されています。また、アフガニスタンから中国を経由し、八重山地方に伝わったとされる説もあります。この織物は、琉球王朝が多くの国と交易を行っていた背景のもと、様々な技法、素材、色、デザインが取り入れられて発展しました。特に、藍一色の「ミンサーフ」という帯が原型であると言われ、愛する男性に贈る婚礼のしるしとして用いられていたことが知られています。五つと四つの絣で「いつの世までも、末永く…」という想いが込められたデザインが特徴で、現代では色も豊富になり、芭蕉や苧麻、絹など様々な糸が使われた製品が観光客向けに生産されています。主な製品には帯製品と加工品があり、ファッション類やインテリア類など多種多様な製品づくりが行われています。八重山ミンサーは、沖縄の染織の世界を特徴づける工芸品の一つとして、その伝統と技術が今に伝えられています。