春日部桐簞笥の歴史を年代別にかんたんに紹介
室町時代: 大田道灌親子による岩槻城・江戸城の築城。この時代から木材加工技術者がこの地にいたとされています。
江戸時代初期(17世紀前半): 日光東照宮の造営に参加した職人たちが粕壁宿に移り住み、桐箪笥の製造が始まる。
江戸中期: 桐箪笥産地として発展。
安永六年(1777年頃): 箱指屋が営業している記録がある。
明和九年(1772年): 岩槻から桐箪笥が発見される。
天保年間(1830年代): 数十軒の指物師や箱屋が春日部に住んでいたという記録が残る。
昭和54年(1979年): 春日部の桐箪笥が国から「伝統的工芸品」として指定される。
春日部桐簞笥の歴史(詳細)
春日部の桐たんす(桐箪笥)作りは、江戸時代に日光東照宮の造営に参加した職人たちが、日光街道沿いの宿場町である粕壁宿に移り住んだことに起源を持ちます。彼らは周辺で採れるキリの木を使用して生産を開始しました。この技術は現在に至るまで継承され、昭和54年には国から「伝統的工芸品」の指定を受けました。
始まりは、日光東照宮造営に集まった工匠たちがこの地の桐を用いて細工物を作り始めたことにあります。大型の収納具や長持ちの製造が徐々に箪笥へと発展し、桐小物も生産されるようになりました。桐のオガ屑は人形の頭や胴体の材料としても利用され、岩槻・鴻巣の人形産地へと発展しました。室町時代の大田道灌親子による岩槻城・江戸城の築城で木材加工技術者がこの地に定住し、桐箪笥の製造が始まったとされています。
春日部の桐箪笥は、実用品から工芸品へと変わり、昭和54年8月3日に通産大臣指定の伝統的工芸品として認定されました。岩槻城や江戸城の築城に関与した大田道灌親子の存在や、春日部が宿場町としての役割、周辺の桐畑の存在が重要な役割を果たしました。また、この地域は農業と工業の両方が行われており、木挽き屋などが存在しました。
江戸時代の中期には、桐箪笥産地として発展し、安永六年には箱指屋が営業している記録が残っています。明和九年には岩槻から桐箪笥が発見され、その後も歴史的な証拠が確認されています。
また、この地域の桐細工は、約300年の歴史を持ち、江戸時代初期から指物、文庫、桐枕、整理箱などの日用品の生産が行われていました。天保年間には、多くの指物師や箱屋がこの地に住んでおり、現在では全国一の生産量を誇る春日部の特産品として広く知られています。