川連漆器

川連漆器の歴史~豊かに、堅牢に~

川連漆器の歴史を年代別にかんたんに紹介

- 1193年(鎌倉時代):源頼朝の家人、小野寺重道の弟、道矩公が川連に館を築く。武具の漆塗りが始まる。
- 1615年(江戸時代初期):元和から元禄にかけて、川連村を中心に椀作りとしての漆器産業が始まる。
- 1815年(江戸時代中期):藩の許可を得て販路拡大。幅広い漆器が製造され、沈金や蒔絵の装飾が始まる。
- 1868年(明治時代):漆器生産額は2,000両。川連村漆器同業組合が発足し、第1回品評会が開催される。
- 1914年(大正時代〜昭和前期):稲庭水力電気株式会社営業開始。電動ろくろが導入される。秋田県立川連漆器試験場設置。
- 1955年(昭和後期):戦後の経済復興に伴い、汁椀などが関東へ出荷され、温泉地への膳や椀の出荷が増加。
- 1976年(昭和51年):川連漆器が国の伝統的工芸品に認定される。
- 1996年(平成8年):県の伝統的工芸品に指定される。
- 現在:漆器の定義と理念の検討が行われ、産地マークが完成。漆塗り仏壇の製造が全国に出荷される。

川連漆器の歴史(詳細)

川連漆器の歴史は、約800年前の鎌倉時代に遡ります。国の伝統的工芸品である川連漆器の産地である湯沢市は、秋田仏壇の産地でもあり、稲庭うどんの里でもある。秋になり、収穫の時期を迎える頃、この地を治めた小野寺氏の居城した高台からは、黄金色の稲穂が広がり、この光景が稲庭の名前の由来となっています。

約800年前、農業主体の川連村は困窮しており、源頼朝の家臣である小野寺重道公が平氏討伐に出陣し、この地を支配するようになった。小野寺氏の弟である道矩は、川連に住まいを移し、農民に内職として武具に漆を塗ることを教えました。当時の職人は豊富な山林で漆掻きをすることができた。奥羽山脈の山ふところに位置し、雄大な皆瀬川を利用して、栗駒山系のブナの原木が木流しを行っていた。

刀の鞘や弓、鎧などの武具の漆塗りが始まりとされ、約400年前の元和から元禄にかけては、川連村を中心に椀作りが始まった記録があります。江戸時代には椀、膳、重箱などの漆器が広く製造され、沈金や蒔絵の装飾も取り入れられるようになりました。明治時代には新しい技術の開発が進み、昭和51年に国の伝統的工芸品に、平成8年には県の伝統的工芸品にそれぞれ指定されました。この丈夫な漆器は、普段使いの生活用品として庶民と地域に密着して発展してきました。また、漆器製造の延長として、40~50年前から漆塗り仏壇の製造が始まり、現在では全国各地へ出荷されています。

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