信州紬

信州紬の歴史~伝統的な染技法が生み出す渋く深い染め色~

信州紬の歴史を年代別にかんたんに紹介

奈良時代: 信州紬の起源が「あしぎぬ」に遡る。
江戸時代初期: 信州の各藩が養蚕を産業政策として奨励。農家の副業として紬織物が織られ始める。
1748年(寛延年間)~: 紬が京都に出荷され、信州全域が紬の織物産地として栄える。
約400年前: 真田昌幸が上田城を築く際、上田紬(真田織)を地場産業として奨励。
江戸時代: 上田紬が日本三大紬の一つとして知られる。
昭和中期: 紬織物の生産は下火となり、技術保存目的で継承される。
戦後: 県の振興策と紬ブームにより、再び活発な生産が行われる。
昭和50年: 信州紬が国の伝統的工芸品に指定される。

信州紬の歴史(詳細)

信州紬の歴史についてまとめると、その起源は奈良時代に遡り、織られていた「あしぎぬ」が始まりとされています。特に、信州(長野県)は「蚕の国」とも呼ばれ、養蚕が盛んな地でありました。江戸時代の初期には、信州の各藩が産業政策として養蚕を奨励し、生糸や真綿など手で紡いだ糸を使用した紬織物が農家の副業として織られ始めました。この時期、草木染材が豊富に自生していたため、草木染の技法も普及しました。寛延年間(1748年~)から明和時代にかけて、紬が京都に出荷されるようになり、信州全域が紬の織物産地として栄えました。

特に、上田紬は今から400年前、真田昌幸が上田城を築いた際に地場産業として奨励された真田織に端を発しています。上田地域では江戸期から昭和半ばまで、養蚕業が盛んであり、現在でもその歴史を物語る蚕室造りの農家や繭蔵、製糸工場の跡が残っています。上田紬は軽くて丈夫、シンプルで使いやすいデザインが特徴で、江戸時代には奄美大島の大島紬や茨城の結城紬と共に日本三大紬の一つと称されました。また、井原西鶴の「日本永代蔵」にも名が登場するなど、その知名度は高いものでした。

紬織物の生産は一時下火となりましたが、戦後、県の振興策や紬ブームにより、再び県下全域での生産が活発になりました。昭和50年には、信州紬として国の伝統的工芸品に指定されています。現在、信州紬は高級反物としての名声が高まっており、伝統を受け継ぐ工房が存在し、その技術や文化が継承されています。

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