三州鬼瓦工芸品

三州鬼瓦工芸品の歴史~渋く輝く300年の伝統~

三州鬼瓦工芸品の歴史を年代別にかんたんに紹介

1720年:徳川吉宗による瓦葺きの奨励が始まり、三州鬼瓦工芸品のルーツとなる。享保5年とも記され、火事の蔓延防止のための防火対策として、瓦葺きが一般庶民にも奨励される。
江戸時代中期:三州鬼瓦が地場産業として本格化し、江戸に大量に輸送されるようになる。
嘉永年間(1848~1854):矢作川が猿投山の粘土を運び、良質な粘土の供給が確保される。

三州鬼瓦工芸品の歴史(詳細)

三州鬼瓦工芸品は愛知県高浜市を含む西三河地方で製作される伝統的な工芸品で、江戸時代中期にその製作が本格化しました。この地域での鬼瓦作りの始まりは、1720年(享保5年)の徳川吉宗による瓦葺きの奨励と火事の蔓延防止策としての防火対策から始まります。徳川吉宗の政策により、瓦葺きが一般庶民にも奨励され、地場産業として瓦作りが栄えるようになりました。

矢作川が猿投山の粘土を下流域に運び、その結果、瓦の原料となる良質な粘土が豊富に採れる地の利を生かし、また海に面していることから海運を利用して江戸への輸送が可能であったことも、三州鬼瓦工芸品の発展に寄与しました。この地域から江戸へ大量に瓦が贈られ、瓦需要の活発化に伴い、三州鬼瓦として装飾的な瓦の製作が担われるようになりました。

鬼瓦は、屋根を飾るだけでなく、家庭の庭や社寺の境内を飾る装飾品としても用いられ、宝船やえびす大黒、鍾馗様、高砂などのモチーフが作られるようになりました。これらは「細工もの」と呼ばれ、縁起物として日常的に親しまれるようになったことで、三州鬼瓦はその技術と美しさを広く知られるようになりました。

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