常滑焼

常滑焼の歴史~日本六古窯のひとつに数えられる伝統陶器~

常滑焼の歴史を年代別にかんたんに紹介

紀元前4世紀〜8世紀:縄文、弥生、奈良時代に日本各地で土器が製作され始める。
5世紀:中国や朝鮮から窯の技術が伝わり、穴窯で須恵器が焼かれるようになる。
1100年:平安時代末期に常滑焼が始まり、知多半島で山茶碗や甕が焼かれる。
1720年:徳川吉宗による瓦葺き奨励が始まり、三州鬼瓦工芸品のルーツとなる。
1854年:朱泥茶器などの生産が始まる。
明治時代:機械化が進み、煉瓦タイルや衛生陶器などの生産がスタート。
江戸時代:真焼けの陶芸品が加わり、連房式登窯が現れる。
室町〜安土桃山時代:小甕が焼かれ、侘び茶の水指しに用いられるようになる。
鎌倉時代:50cmを超える大型の壷や甕の生産が行われる。

常滑焼の歴史(詳細)

常滑焼は愛知県常滑市を中心に古くから製作されている焼き物で、六古窯の中でも最古の歴史を持つとされています。この焼き物の起源は平安時代末期、約1100年頃にさかのぼり、猿投窯の灰釉陶器の流れを受け継ぎ、知多半島へと広がりました。縄文時代から奈良時代にかけて、日本各地で土器が作られていましたが、5世紀頃には中国や朝鮮から伝わった窯の技術により、穴窯が築かれ、須恵器が焼かれるようになりました。平安時代末期には、知多半島の丘陵地に穴窯が築かれ、山茶碗や甕などが作られ、「古常滑」と呼ばれる時代の焼き物が生まれました。

室町〜安土桃山時代には、特に小甕が焼かれ、後に侘び茶の水指しに用いられるなど、常滑焼は多様な用途で使われるようになりました。江戸時代には、新たな技法を生み出す名工が登場し、藻掛け技法や緋色焼などが作られ、常滑焼は大きく発展しました。

知多半島の良質な粘土は、650~100万年前に存在した東海湖の堆積物に由来し、この豊富な資源が常滑焼の発展に寄与しました。中世から江戸時代にかけて、大型の壷や甕が量産され、海路を用いて全国各地へ供給されました。明治時代には技術の進歩と機械化により、衛生陶器や煉瓦タイルなどの生産が始まり、製品の種類と生産量が一層増加しました。

常滑焼の歴史は、古代から現代に至るまで、技術の革新と共に発展を遂げ、日本の焼き物文化に大きな足跡を残しています。

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