尾張七宝の歴史を年代別にかんたんに紹介
紀元前:七宝の技術の起源が古代メソポタミアや古代エジプトに見られる。
奈良時代:国内では奈良県の古墳から出土した棺の飾り金具が現存する最古の七宝とされる。
1803年:尾張七宝の祖とされる梶常吉が尾張国海東郡服部村(現在の名古屋市中川区)に生まれる。
1830年代(天保年間):梶常吉が七宝の製法を発見し、改良を加える。
1832年:梶常吉がオランダ船により輸入された七宝の皿を手に入れる。
1833年:梶常吉が念願の七宝の小盃を完成させる。
1894年:『工藝鏡』に梶常吉の七宝製作について記される。
尾張七宝の歴史(詳細)
尾張七宝の歴史は、その技術の起源が紀元前の古代メソポタミアや古代エジプトに遡るとされ、ヨーロッパ、中国、朝鮮半島を経由し日本に伝わった長い歴史を持ちます。国内では、奈良県の古墳から出土した棺の飾り金具が現存する最古の七宝とされ、近世以降の日本では建築物の装飾品などに使用されてきました。特に、京都で製作された七宝は「京七宝」と呼ばれ、江戸時代初期には名古屋城本丸御殿にも七宝が用いられました。
尾張七宝の発展は、天保年間(1830~1844年)に梶常吉がオランダ船により輸入された七宝の皿を手がかりにその製法を発見し、改良を加えたことから始まります。常吉は1803年に尾張国海東郡服部村(現在の名古屋市中川区)で生まれ、尾張藩士梶市右衛門の二男として鍍金業を営んでいました。彼は書物で目にした七宝に関心を持ち、技術を習得したいと強く望みましたが、独学では製法を知ることができませんでした。転機は1832年、名古屋の骨董商松岡屋嘉兵衛からオランダ船で運ばれてきた七宝の皿を手に入れたことで、この皿を参考に翌1833年には七宝の小盃を完成させるに至りました。この出来事は1894年に刊行された『工藝鏡』に記録されています。
こうして、江戸時代後期から明治にかけて尾張の地で発展し、成熟した尾張七宝は、古代から続く七宝の技術を受け継ぎながら、日本国内で独自の発展を遂げ、現在につながる伝統を築き上げてきました。