伊賀くみひも

伊賀くみひもの歴史~歴史とともに紡がれてきた組紐~

伊賀くみひもの歴史を年代別にかんたんに紹介

奈良時代以前:伊賀くみひもの起源。経巻や仏具・神具の紐として用いられる。
4~5世紀:現存する伊賀で発見された最古のひもが久米山古墳群から出土。
明治時代中期:伊賀くみひもが本格的に産業として発展。
1902年:広沢徳三郎氏が東京から組紐の技術を習得し、伊賀に江戸組紐の糸組工場を設立。
1963年(昭和38年)7月:名阪国道の改修工事に伴う久米山古墳群の発掘調査で古代のひもが発見される。
1976年(昭和51年)12月:伊賀くみひもが「伝統的工芸品」として指定される。

伊賀くみひもの歴史(詳細)

伊賀くみひもの歴史は奈良時代以前にさかのぼるとされ、経巻や仏具・神具の紐として使用されていたことから始まります。この技術は、仏教伝来と共に大陸から伝えられたとされており、現存する伊賀で発見された最古のひもは4~5世紀の古墳時代にあたる久米山古墳群から出土したものです。伊賀地方で組紐が産業として発展した背景には、養蚕が盛んであったことや京都に近い地理的利点、伊賀の気候風土が絹糸に適していたことなどがあります。また、交通の便が悪く他の産業がなかったことや、観阿弥や松尾芭蕉などの文化人が生まれた地域性も影響しています。

明治時代中期からは産業として本格的に発展し、特に高台による手組み紐が全国生産の大半を占めるほどになりました。昭和38年の名阪国道改修工事に伴う久米山古墳群の発掘調査で、南北朝時代末期に観世能の衣装や面に組紐が用いられていたことや、戦国時代末期の忍者による使用など、その歴史的証拠が発見されています。伊賀くみひもの産業としての基盤が整えられたのは、養蚕の盛んさ、京都への近さ、伊賀の気候風土、及び交通の不便さなど複数の要因が重なった結果であり、家族制度や地域性も大きな役割を果たしています。

明治35年には広沢徳三郎氏が東京から組紐の技術を伊賀に伝え、江戸組紐の糸組工場を設立しました。これにより、伊賀が再び組紐の産地として大きく発展し、特に手組み紐は全国生産の大半を占めるまでになりました。昭和51年には「伝統的工芸品」としての指定を受け、伊賀くみひもは名実ともに特産地としての地位を確立しました。この歴史を通じて、伊賀くみひもはその技法・技術が受け継がれ、現代においても高い評価を受けています。

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