高岡銅器の歴史を年代別にかんたんに紹介
1611年 (慶長16年):加賀藩二代藩主・前田利長公が高岡に7人の鋳物師を招き、高岡銅器の製造を始める。
江戸時代中期:銅鋳物が盛んになり、仏具などが一般家庭で求められるようになる。
江戸時代後期:問屋による流通体系が生まれ、火鉢や花瓶などが全国に広まる。
1862年:ロンドン万国博覧会に高岡銅器が出品される。
1867年:パリ万国博覧会に高岡銅器が出品される。
1975年 (昭和50年):国指定伝統的工芸品の第一次指定を受ける。
1979年 (昭和54年):特定産業の産地指定を受ける。
2008年 (平成20年) 1月11日:高岡銅器協同組合が特許庁から地域団体商標として登録される。
高岡銅器の歴史(詳細)
高岡銅器の歴史は、1611年(慶長16年)に加賀藩二代藩主・前田利長公が高岡の町の繁栄を図るために、砺波郡西部金屋村から7人の鋳物師を招き、特別な保護のもと、現在の金屋町に鋳物作業所を開設させたことに始まります。これが、約400年以上にわたって続く高岡銅器製造の起源であり、当初は鉄鋳物が中心であり、鍋や釜などの日用品や農機具を製造していました。
江戸時代中期頃からは銅鋳物が盛んに行われるようになり、仏具などが一般家庭でも求められるようになりました。江戸後期には問屋による流通体系が確立し、火鉢や花瓶などが大衆化し全国に広まりました。明治時代に入ると、パリやウィーンなどの万博博覧会に出品し、国内外で高岡銅器の名声を高めました。特に、1862年のロンドン万国博覧会や1867年のパリ万国博覧会を通じて、美術銅器は輸出品としても確固たる地位を築きました。
素材は当初鉄が中心でしたが、江戸時代中頃から銅、錫、青銅、真鍮などの合金やアルミニウムにまで多岐にわたり展開しました。研磨、彫金、着色などの加工技術も発展し、多様な表現方法が確立されました。
1975年には「国指定伝統的工芸品」の第一次指定を受け、1979年には特定産業の産地指定を受け、2008年1月11日には高岡銅器協同組合が特許庁から「地域団体商標」として登録されました。このようにして高岡銅器は、加賀藩の後押しにより誕生し、時代を超えて技術と美術性を高め、日本を代表する伝統工芸品として世界にその名を知らしめてきました。