七尾仏壇

七尾仏壇の歴史~豪華絢爛で煌びやかなつくりの伝統仏具~

七尾仏壇の歴史を年代別にかんたんに紹介

1409年:畠山満慶が能登の守護職として七尾に入国し、蒔絵や彫刻などの工芸産業の保護と職人の育成を始める。
1581年:前田利家が七尾城に入城し、宮大工や指物職人など多くの職人が七尾に集められる。
1616年:七尾の地図に塗師町、木町、大工町など仏壇製造業者が定着していたことを示す名前が記載される。
1904年:「七尾町塗師業仲間」が記録される、現存する仏壇業者最古の書類。
1978年:七尾仏壇が昭和53年7月に国指定伝統的工芸品に指定される。

七尾仏壇の歴史(詳細)

七尾仏壇の歴史は室町時代の初頭まで遡り、その起源は応永16年(1409年)に畠山満慶が能登の守護職として七尾に入り、京都文化を積極的に取り入れながら蒔絵や彫刻、家具などの工芸産業を保護し、職人たちを育成したことに始まります。この時代に確立された伝統技術は、七尾仏壇作りの基礎を築いたとされています。畠山氏による文化振興の後、1581年に前田利家が七尾城へ入城した際には、宮大工や指物職人などさらに多くの職人が集められ、城や城下町の整備が進められました。これにより、仏壇の製作だけでなく、神社・仏閣の再興にも職人たちが活躍するようになりました。

七尾地域では、仏壇店を「ぬしや」と呼ぶ風習があり、1600年代から現在まで仏壇作りの技術が脈々と受け継がれています。元和2年(1616年)の七尾の地図には、塗師町(ぬしまち)、木町、大工町などの名前が記載されており、仏壇製造業者がすでに定着していたことがうかがえます。昭和53年7月には、七尾仏壇が国指定伝統的工芸品に指定され、全国で第7番目の伝産指定産地となりました。この指定は、100年以上の製造歴史がある産地にのみ与えられるものです。

七尾仏壇の定着と発展には、複数の要因が寄与しています。能登地方に自生するヒバやアテなどの材料の豊富さ、漆塗りに適した湿度や気温、地域の祭り文化から派生した技術力、そして浄土真宗を信仰する人々の多さが挙げられます。特に北陸地方では、1471年以降、蓮如上人による浄土真宗の幅広い布教活動が仏壇需要を高め、江戸時代の寺請制度導入によりその需要はさらに増大しました。これらの背景により、七尾仏壇づくりは地場産業として確立し、発展してきたのです。

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