金沢仏壇

金沢仏壇の歴史~質の良い金箔をふんだんに使用した伝統仏具~

金沢仏壇の歴史を年代別にかんたんに紹介

1471年:蓮如上人が加賀と越前の境の吉崎で浄土真宗の布教を始め、その教えが加賀一円に広まる。
17世紀後半:加賀藩三代藩主前田利常の時代に、京都・江戸から名工を加賀藩細工所に呼び、美術工芸の基礎を築く。
江戸中期:金沢で金箔を使用した蒔絵技術が発展し、金沢仏壇の製造が本格化する。 ​

金沢仏壇の歴史(詳細)

金沢仏壇の歴史は、蓮如上人の布教活動に起源を持ち、浄土真宗が加賀一円に広まることで、仏壇の需要が高まったことに始まります。文明3年(1471年)に蓮如上人が加賀と越前の境にある吉崎で浄土真宗の布教を開始し、その教えが加賀一円に広がりました。各集落に道場が設けられ、信仰の場としてだけでなく、寄り合いの場としても機能し、御講(同一信仰者の組織)が形成されることで、仏壇への需要が自然と生まれました。

加賀藩三代藩主前田利常の時代には、京都や江戸から名工たちを加賀藩細工所に招聘し、美術工芸の基礎を築きました。これにより、木地師、塗師、蒔絵師、彫刻師などの職人が多く住むようになり、完全な分業体制で仏壇の製造が行われるようになりました。また、金沢は金箔の生産地としても知られており、金箔をふんだんに使用した蒔絵技術により、荘厳華麗な金沢仏壇が作られるようになりました。

金沢仏壇の特徴は、その製造背景にある深い信仰と高度な工芸技術の融合にあります。蓮如上人の北陸巡化により浄土真宗が深く根付いたこと、三代藩主前田利常によって整備された細工所で優秀な工芸技術者が育成されたことが、金沢仏壇の繁栄に大きく貢献しました。細工所では、23種に分かれた多様な技術を持つ職人たちが藩からの扶持を受け、高品質な美術工芸品を製作し、加賀美術の基礎を築いたのです。これらの職人によって作られた製品は、将軍家や公家、諸候、寺社との交流時の御進物や寄進などに使われ、時が経つにつれて、細工所の技術を受け継いだ職人たちが一般庶民の需用に応え、仏壇製作も行うようになりました。

このように、金沢仏壇は、加賀の真宗王国としての背景、蓮如上人の布教活動、前田利常の時代に築かれた工芸の基盤、金箔を使用した蒔絵技術など、複数の歴史的・文化的要素が組み合わさることで発展し、その豪華で精巧な作りは今も多くの人々に高く評価されています。

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