越前箪笥の歴史を年代別にかんたんに紹介
7世紀末~8世紀初め:法隆寺にある国宝、橘夫人厨子の台座に「越前」と筆で墨書された落書きがある。越前から集められた工匠が製作に携わったとされる。
8世紀:越前国で収納家具として明櫃と折櫃の使用が記録される。
戦国時代:前田利家が加賀百万石の金沢に入封される際、越前府中から職人や商人を連れて行く。
江戸時代末期~明治初期:越前箪笥の製作が始まり、指物師が製造の始祖とされる。
室町・戦国時代:指物師が朝倉家の茶道具を作り、指物文化が芽生え始める。
明治時代中期:タンス作りの職人たちが越前に集まり、タンス町が形成される。
昭和時代:「タンス町通り」として15〜16店のタンス屋が並ぶ。秋の収穫後が最も賑わう時期となる。
2013年:越前箪笥が経済産業大臣指定の伝統的工芸品に認定される。
越前箪笥の歴史(詳細)
越前箪笥の歴史は、7世紀末から8世紀初めにさかのぼり、法隆寺にある国宝、橘夫人厨子の台座に「越前」と筆で墨書された落書きから始まります。これは越前から微集された匠の一人が描いたものであると考えられています。また、8世紀ごろの古文書には、越前国で収納家具として明櫃と折櫃が使用された記録があり、戦国時代には前田利家が加賀百万石の金沢に入封された際、越前府中から職人や商人を連れて行ったと言われています。
越前箪笥の製作が始まったのは江戸末期から明治初期にかけてで、旦那衆の家に出入りしていた指物師が始祖とされます。これらの職人は能面などの工芸品や農業者が製作していたお膳風呂や板戸などが専業化し、指物師と呼ばれるようになりました。越前市は古来より政治経済文化の中心地として栄え、仏壇の産地であり、刃物の町でもあったことから、金具鍛冶に恵まれており、漆器の産地である河田地区も近接していました。
明治中期頃には本格的な箪笥造りの職人が中心となってタンス町通りが成立し、昭和時代には多くのタンス屋が並び、「タンス町通り」と呼ばれるようになりました。特に秋の収穫後は、嫁入り道具の品定めをする人々で賑わいました。現在でも越前市で製造される越前箪笥は、2013年に経済産業大臣指定の伝統的工芸品に認められています。越前箪笥の製作には、ケヤキやキリなどの木材を独自の指物技術によって加工し、豊かな装飾の飾金具や漆塗りを施した重厚なつくりが特徴で、その技術は江戸後期に確立され、現在に至るまで100年以上にわたって受け継がれています。