若狭塗

若狭塗の歴史~独特な風格と荘厳さを持つ伝統漆器~

若狭塗の歴史を年代別にかんたんに紹介

弥生時代末期:箸が中国から日本に伝わる。
飛鳥時代:遣隋使によって箸と匙をセットにした中国式の食事作法が持ち帰られる。
鎌倉時代:日本独自の箸だけを使った食事法が確立。箸に漆が塗られるようになる。
慶長年間(1596~1614):若狭塗の始まり。小浜の豪商が国外から入手した漆塗盆を藩主酒井忠勝公に献上し、模倣された。
寛永11年(1634年):酒井忠勝が「若狭塗」と命名し、保護奨励を開始。
承応2年(1653年):塗師三十郎と木地師が細工をさせられ、天下に若狭塗を広めるデモンストレーションを行う。
万治年間(1658~1660):卵殻金銀箔塗押の技法が完成。
江戸時代中後期:若狭塗の黄金時代。螺鈿や蒔絵など200種類以上の技術が完成。
1878年(明治11年):パリ万国博に若狭塗が出品され、海外進出が試みられる。
1955年(昭和30年):化学塗料の開発により塗箸の大量生産が可能になり、市場シェアが全国に拡大。
昭和53年(1978年):伝統的工芸品として若狭塗が指定される。

若狭塗の歴史(詳細)

若狭塗の歴史は、慶長年間(1596~1614)に小浜の豪商組屋六郎左エ衛門が国外から入手した漆塗盆を藩主酒井忠勝公に献上し、城下の漆塗御用職人松浦三十郎がこれを模して製作したことに始まります。その後、海底の模様を意匠化した菊塵塗や磯草塗が生み出され、卵殻金銀箔塗押の技法が万治年間(1658~1660)に完成しました。これらの技法の発展により、酒井忠勝公はこれを「若狭塗」と命名し、小浜藩の藩財政の基幹産業として生産を奨励し保護しました。寛永11年(1634年)に赴任した酒井忠勝が若狭塗を命名し、藩を挙げて保護奨励したこと、承応2年(1653年)には塗師三十郎と木地師が江戸表で細工をさせたことが伝えられています。

箸の歴史としては、弥生時代末期に中国から日本に伝わり、飛鳥時代には遣隋使が箸と匙をセットにした中国式の食事作法を持ち帰りました。鎌倉時代には日本独自の箸だけを使った食事法が確立し、箸に漆が塗られるようになりました。江戸時代になると、飲食店の流行と共に箸が広く普及し、若狭塗もこの時期に多様化しました。若狭で作られる漆器の美しさに酒井忠勝が惚れ込み、「若狭塗」と命名しました。江戸中後期には若狭塗の黄金時代とされ、螺鈿や蒔絵など200種類以上の技術が完成しました。

明治時代には割り箸が誕生し、若狭塗の海外進出が試みられ、大正から昭和にかけてモダンなデザインの創作にも力が入れられました。1955年(昭和30年)には化学塗料の開発により塗箸の大量生産が可能になり、若狭塗の市場シェアは全国へと拡大しました。

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