京人形

京人形の歴史~手作業によって生み出される優美で高品質な人形~

京人形の歴史を年代別にかんたんに紹介

縄文時代:人形の起源としての土偶が登場。
古墳時代:埴輪が登場し、信仰や呪術の対象として用いられる。
平安時代:ひとがたやかたしろが疫病払いなどの呪術的な意味合いで用いられる。雛人形の遊びが貴族の間で流行し、京人形の始まりとされる。
江戸時代:国政の中心は江戸に移るが、人形文化は京都を中心に発達。御所人形が生まれ、面吉、面卯などの京人形師によって京人形の典型が完成される。
江戸時代末期:雛遊びは三月三日の上巳の節句に行われるようになり、雛人形が立派な雛人形へと変化。男児の節句人形として飾り兜や武者人形が作られる。
明治時代以降:京人形は伝統的技法を保ちつつ受け継がれ、日本人形の基本体系を確立。京都が日本人形のふるさととして認識される。

京人形の歴史(詳細)

京人形の歴史は、縄文時代の土偶や古墳時代の埴輪に始まり、信仰や呪術の対象として用いられていたことから、平安時代の「ひとがた」「かたしろ」に至ります。これらは災厄の身代わりや疫病払いとして用いられ、現在の流し雛の形で一部に残っています。平安時代には宮廷サロン文化の中で、貴族の姫君たちによる人形の遊びが流行し、京都の職人によって愛玩された人形が作られました。江戸時代には京都を中心に人形文化が発展し続け、御所人形などの高い品質を支える伝統工芸が形成されました。

平安時代の貴族社会で流行した「ひいな人形」が京人形の始まりであり、これが雛祭りの成立へとつながり、雛人形は女児の節句人形として、男児には端午の節句に飾る飾り兜や武者人形が作られるようになりました。江戸時代には新しい展開が見られ、雛遊びは三月三日の上巳の節句に行われるようになり、手遊び人形だった雛が立派な雛人形へと変化しました。

また、京人形の製作においては、木彫り系列の嵯峨人形、加賀人形、御所人形が作られ、これらは木彫に彩色をしたり、裂地を木目込んだり、胡粉仕上げで白い肌を強調する技法が用いられました。京都は西陣という高級織物の産地も持ち、衣装人形においては布地を用いることで品格の高い人形が数多く生み出されました。伏見人形などの土を焼いて作る人形も京都の特色の一つです。

江戸期に京都で生まれた人形は日本人形の基本体系を確立し、京都は日本人形のふるさとと言えるでしょう。明治以降もこれらの人形は伝統的技法を守りながら受け継がれ、今もなお多くの人々に愛され続けています。この長い歴史と伝統を通じて、京人形師たちの技術と情熱が京人形の高い品質を支え、現代に至るまでその美しさを高め続けています。

-京人形