大阪欄間

大阪欄間の歴史~職人の技術と自然の風合いが織りなす木工工芸品~

大阪欄間の歴史を年代別にかんたんに紹介

奈良時代:欄間が寺社建築の採光目的で作られ始める。

17世紀初期:大阪欄間の起源が見られる。大阪府内の聖神社や四天王寺などで伝統技法の発祥。

桃山時代から江戸時代初期:書院建築において欄間が発達。京都の二条城・西本願寺に彫刻された欄間が見られる。

江戸時代:欄間が一般住宅にも普及し始める。京都が主な産地であったが、大阪にも伝播し定着。

戦前:大阪の堀江・横堀に欄間の職人町が存在。全国への発送が行われる。

戦後:欄間の職人町が戦災により離散後、徐々に復興。現在では約30企業が生産を続け、昔からの伝統を守る。

大阪欄間の歴史(詳細)

大阪欄間は17世紀初期にその起源を持ち、300年以上にわたる長い歴史を有しています。その伝統技法の発祥は、大阪府内の聖神社(和泉市)や四天王寺(大阪市)などに見ることができ、この技術は桃山時代から江戸時代初期にかけて発達した書院建築、そして京都の二条城・西本願寺などにも見られる彫刻された欄間にその根を下ろしています。当初、お寺や特権階級の屋敷に限られていた豪壮華麗な飾りは、「力」を現わすために用いられていましたが、江戸時代に入ると一般住宅の茶の間や客間等の鴨居の上に採光通風を良くする実用性と品格を保つための室内装飾として取り入れられるようになりました。

奈良時代から寺社建築への採光目的で作られ始めた欄間は、後に技巧を凝らした華麗な装飾品として貴族階級の住居にも使われるようになり、江戸時代以降は一般住宅にも普及しました。元々は京都が主な産地でしたが、木材取引が多く行われていた大阪に伝播し、定着したと考えられています。

大阪における欄間製造の発展には、木材の集散地としての役割を果たした堀江・横堀の川沿いに多くの材木店があったことが大きく関わっています。この地域には欄間の職人が集まり、職人町を形成し、そこで作られた欄間は木材問屋を通じて全国に発送されました。また、堺を中心に豪商が多く存在し、大量消費地を背景に持つ地理的な利点も大阪欄間が盛んになった要因です。戦前には堀江・横堀に欄間の職人町が存在していましたが、戦災により離散。その後徐々に復興し、現在では約30企業が生産を続け、伝統を守っています。

大阪欄間は屋久杉などの杢目を生かした絵画調の彫刻欄間、桐の肌と透かし模様が調和した透彫欄間、簡潔な幾何学模様を表した組子欄間、筬(おさ)欄間、節抜(よぬき)欄間など、多様なスタイルがあり、日本家屋における装飾と換気の機能性を兼ね備えています。

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