堺打刃物

堺打刃物の歴史~各界の料理人に選ばれる、伝統の品質~

堺打刃物の歴史を年代別にかんたんに紹介

5世紀頃:仁徳天皇陵の構築により、堺に鍛冶職人が集まり始める。

7世紀頃:「万葉集」に簾に関する和歌が登場し、簾の使用が古くからあったことが示される。

15世紀:加賀国から堺へ刀工を祖とする庖丁鍛冶集団が移住し、堺の刃物生産が始まる。

16世紀:ポルトガルから鉄砲とタバコが伝来し、堺では鉄砲とタバコ庖丁の製造が盛んになる。

天文12年(1543年):ポルトガル人によって鉄砲、たばこが伝来。

天正年間(1573年~):たばこの葉を刻むたばこ包丁が堺で造られるようになり、堺刃物の名声が全国に広まる。

江戸時代(天保年間頃):火縄銃の需要が減少し、タバコ包丁の製造が始まる。

昭和57年(1982年):堺打刃物が伝統的工芸品に指定される。

現代:堺刃物は分業制による高品質の包丁を生産し、国内外で広く認められ、30カ国以上に輸出されている。

堺打刃物の歴史(詳細)

堺打刃物の歴史は、その起源が5世紀の仁徳天皇陵の構築にまでさかのぼり、日本での簾の使用が7世紀以前からあったことを示す万葉集に記述されている簾の言葉からも窺えます。15世紀には、刀工を祖とする庖丁鍛冶集団が加賀国から堺へ移住し、堺の刃物生産が始まりました。これは日本最大の仁徳天皇陵古墳の築造によって培われた鍛冶技術が基盤となっています。

16世紀には、ポルトガルから伝来した鉄砲とタバコが堺の庖丁鍛冶技術を生かした鉄砲とタバコ庖丁の製造に大きな影響を与えました。特に、鉄砲は堺を日本有数の産地に変え、タバコ庖丁は徳川幕府によって「堺極」の極印を入れて全国に販売され、堺刃物の名声を全国に広めました。

江戸時代に入ると、火縄銃の需要が減少し、タバコの葉を刻むための包丁が堺の職人たちによって作られ始めました。これが堺刃物の起源とされ、堺製のタバコ包丁は非常によく切れ、長持ちすることで江戸幕府の専売品として全国に販売されました。その後、タバコの生産が機械化され、タバコ包丁の需要が減少すると、職人たちは料理用の包丁の製造に転じました。

堺刃物の特徴は分業制であり、鍛冶、刃研ぎの職人がそれぞれの仕事を極めるために生涯を費やしています。お互いが切磋琢磨することにより、他産地に類を見ない高品質の包丁が生まれています。昭和57年には伝統的工芸品に指定され、その品質は国内外で広く認められています。現在、堺で生まれた打刃物は30カ国以上に輸出され、世界中の多くの人々を魅了しています。

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