大阪浪華錫器

大阪浪華錫器の歴史~手作業ならではの温もりと風合い~

大阪浪華錫器の歴史を年代別にかんたんに紹介

紀元前1500年 エジプトの王朝の古代都市で錫の水壷が発見される。
7世紀初め(610年前後) 日本に錫器が伝わる。遣隋使の手により、飛鳥時代に錫が宮中や神社仏閣で使用され始める。
7~9世紀 遣隋使・遣唐使により渡来した錫器が奈良正倉院に保存される。
17世紀 高級料亭や有力商家で錫器が使われ始め、大阪で錫器産業が発展。
1679年(延宝7年) 「難波雀」に「錫引き、堺い筋」と記録される。
1690年 「人倫訓蒙図彙」が出版され、江戸初期に京都で錫器製作が行われていたことが確認される。
1714年(正徳4年) 錫屋の老舗「錫半」が心斎橋で開業。
昭和前半 大阪で300名を超える職人が活躍。錫器が一般家庭にも普及。
第二次世界大戦勃発時 材料の入手困難などにより錫器生産に大きな打撃。
1983年(昭和58年)3月 伝統的工芸品『大阪浪華錫器』として指定される。

大阪浪華錫器の歴史(詳細)

大阪浪華錫器の歴史は、紀元前1,500年にエジプトの王朝の古代都市で錫の水壷が発見されたことに遡ることができ、古くから錫の光沢と融点の低い性質は世界各国で器物の製作に用いられてきました。日本に錫器が伝わったのは7世紀の初め頃、610年前後で、遣隋使の手によると言われており、この時期は飛鳥時代にあたり、天皇を中心とする中央集権国家が形成された時代でした。当時の錫は金や銀に並ぶ貴重品とされ、宮中で用いられるうつわや、神社仏閣で使われる神仏具などに限られた人々によって使用されていました。特に、奈良の正倉院には錫の薬壺や佐波理さはり(錫と銅の合金)の水瓶や皿などが今も宝物として保存されています。

錫器の生産は、日本で初めて錫鉱山が開かれた京都の丹波地方で始まり、江戸時代初期には京都を中心に製作が確認され、1690年に出版された「人倫訓蒙図彙」には錫師の仕事場の様子が描かれています。大阪では、江戸時代中期に心斎橋や天神橋など流通が盛んな地域に産地が形成され、錫器造りは産業へと拡大していきました。特に、延宝7年(1679年)には「難波雀」に錫引きの記録があり、錫屋の老舗「錫半」が正徳4年(1714年)に心斎橋で開業したことが記録されています。

昭和前半には、大阪で300名を超える職人が活躍しており、錫器は一般家庭でも広く使われるようになりましたが、第二次世界大戦の勃発とともに材料の入手が困難になり、大きな打撃を受けました。それでも、昭和58年(1983年)3月には、その伝統性や技術が評価され、通産大臣(現経済産業大臣)により伝統的工芸品『大阪浪華錫器』として指定されました。この長い歴史の中で、錫器はその美しさと使い易さを保ちながら現在の形に落ち着き、日々の研鑽を忘れずに先人たちの技術や知恵を受け継ぎながら、職人たちは品を作り続けています。

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