石州和紙

石州和紙の歴史~無形文化遺産にも登録された伝統の技術~

石州和紙の歴史を年代別にかんたんに紹介

元興元年(105年)
- 手すき紙が中国の葵倫によって発明される。

推古18年(610年)
- 手すき紙が曇徴により日本へ伝来される。

延喜式(905年)
- 文献に石州(石見)の名が登場し、紙を納める義務が記される。

慶雲・和銅(704年~715年)
- 柿本人麻呂が石見の国で民に紙漉きを教える。

寛政10年(1798年)
- 「紙漉重宝記」が発刊され、石州和紙の歴史が記される。

昭和44年(1969年)
- 石州半紙が国の重要無形文化財に指定される。

平成元年(1989年)
- 石州和紙が経済産業大臣指定の伝統的工芸品に認定される。

平成21年(2009年)
- 「石州半紙」がユネスコ無形文化遺産の保護に関する条約に基づく「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」に記載される。

平成26年(2014年)
- 「和紙:日本の手漉和紙技術」として『石州半紙』『本美濃紙』『細川紙』がユネスコ無形文化遺産の代表的な一覧表に記載される。

石州和紙の歴史(詳細)

石州和紙の歴史は、元興元年(105年)に中国で葵倫によって発明された手すき紙が、推古18年(610年)に曇徴によって日本へ伝来されたことに始まります。石州(石見)地方での和紙製造の歴史は、延喜式(905年)に石見が紙を納める義務があった42ヶ国の一つとして記されていることから確認でき、寛政10年(1798年)発刊の「紙漉重宝記」では慶雲・和銅(704年~715年)の頃、柿本人麻呂が石見の国で民に紙漉きを教えたと記されています。これにより、石州地方では約1300年もの間、古代から変わらぬ製法で手漉き紙が作られ続けてきました。

江戸時代、大阪の商人は火災時にも石州和紙製の帳簿が無事であることから、この和紙を高く評価していました。石州和紙は楮の皮を含む繊維を使用し、流し漉きによって強靭な紙を生産しています。三隅町では農閑期に紙を漉く家が多く、一時は600軒近くの紙漉き職人がいましたが、後継者不足や和紙の使用減少により、現在はわずか4軒のみが残っています。

石州和紙は、昭和44年(1969年)に国の重要無形文化財に指定され、平成元年(1989年)には経済産業大臣指定の伝統的工芸品にも認定されました。また、平成21年(2009年)にはユネスコ無形文化遺産の「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」に「石州半紙」が記載され、平成26年(2014年)には「和紙:日本の手漉和紙技術」として『石州半紙』『本美濃紙』『細川紙』が記載されました。石州和紙は、文化財修復用の特殊な和紙の製造や新商品開発など、1300年にわたる歴史と文化を継承しながら現代にもその技術を活かしています。

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