石見焼の歴史を年代別にかんたんに紹介
1592年~1610年
- 出兵した武士が朝鮮の陶士、李郎子を連れて帰り、島根県で石見焼の製作が始まる。
18世紀中頃
- 石見焼を証明する史料が始まり、水甕や瓦など生活に根付いた焼き物の生産が盛んになる。
江戸末期
- 石見焼が中国地域に限らず、九州から北陸、東北までの日本海沿岸に大いに出荷される。
1765年(江戸中期)
- 本格的な製陶法が江津市に伝わり、製陶が盛んになる。
昭和中期
- 大規模な登窯による生産が行われていたが、水道の普及やプラスチック容器の登場により生産量が減少。
1994年7月
- 石見焼が国の伝統的工芸品に指定される。
石見焼の歴史(詳細)
石見焼の歴史は1592年から1610年にかけての出兵した武士が朝鮮の陶士を連れ帰ったことから始まったとされ、その後江戸時代に入ると宍道町来待地区で産出する来待石を使用して製作されるようになりました。この地方での陶器製作の起源は奈良・平安時代にさかのぼるとも言われていますが、18世紀中頃から島根県西部で焼かれ始めたことが史料で確認されており、特に「はんどう」と呼ばれる大型の水瓶が特徴的です。江戸時代末期には日本海沿岸地域へ大いに出荷され、明治時代に量産されたことで最盛期には100軒を超える窯があったといわれます。
石見焼は「しの作り」という伝統的技法に支えられており、太い紐状の粘土をろくろに積み上げてから平らにならし、大物の製作に耐え得る粘土を使用しています。この技法により水瓶だけでなく、庭園用テーブルセットや傘立てなどの大型インテリア製品や日用陶器も製作されています。昭和中期まで水甕の需要は多かったものの、第二次大戦後の水道普及やプラスチック容器の登場により生産量が減少しました。しかし、石見焼は1994年7月に国の伝統的工芸品に指定されるなど、その技術と美しさが評価され続けています。