熊野筆

熊野筆の歴史~上質で肌に優しい伝統の筆~

熊野筆の歴史を年代別にかんたんに紹介

江戸時代末期(18世紀末)
- 熊野筆の歴史が始まる。熊野で農業の暇な時期に出稼ぎが行われ、奈良や大阪、有馬地方で筆や墨を仕入れて売りながら帰ることが熊野と筆との結びつきの始まり。

19世紀
- 筆作りの技術習得が本格化。広島藩の工芸推奨により、奈良や有馬に派遣されたり地元に招かれた職人から技術を習った若い村人たちが筆作りを広める。

明治5年(1872年)
- 学校制度が確立。

明治33年(1900年)
- 義務教育が4年間に設定され、学校教育の中で筆が使われるようになり、生産量が大きく増加。

第二次世界大戦後
- 習字教育の抑制により毛筆の生産量が落ち込む時期があった。

昭和30年代(1955年頃)
- 書筆作りの技術を生かして画筆や化粧筆の生産が始まる。

1975年(昭和50年)
- 熊野筆が広島県で初めて国の伝統的工芸品に指定される。毛筆、画筆、化粧筆の全国一の生産量を誇る産地として知られるようになる。化粧筆の品質が国内外で高く評価される。

現代
- 熊野筆の製造技術は世代を超えて親から子、子から孫へと受け継がれ、伝統と技術が今も続いている。

熊野筆の歴史(詳細)

熊野筆の歴史は、江戸時代の末ごろ、特に18世紀末(江戸時代末期)から始まったと言われています。熊野は広島県安芸郡熊野町に位置し、農地が少なかったこの地域では、当時の人々が生活を支えるために農業以外の手段を模索していました。農閑期には、多くの農民が吉野地方(現在の奈良県)や紀州地方(現在の和歌山県)、または奈良・大阪・有馬(兵庫県)地方へ出稼ぎに出ており、筆や墨を仕入れて売りながら熊野に帰っていたことが、熊野と筆との結びつきの始まりでした。この出稼ぎから帰った人々や、広島藩の推奨により奈良や有馬に派遣されたり地元に招かれた職人に技術を習った若い村人たちが筆作りを本格的に学び、熊野でも筆作りが行われるようになりました。

19世紀に入り、明治5年に学校制度が確立され、33年には義務教育が4年間に設定されるなど、学校教育の中で筆が使われるようになったことで、生産量が大きく増加しました。第二次世界大戦後は一時的に習字教育の抑制により毛筆の生産量が落ち込みましたが、昭和30年代からは書筆作りの技術を生かして画筆や化粧筆の生産も始まりました。1975年(昭和50年)には、広島県で初めて国の伝統的工芸品に指定され、熊野筆は毛筆、画筆、化粧筆の全国一の生産量を誇る産地として知られるようになりました。また、近年では化粧筆の品質が国内外で高く評価されています。熊野筆の製造技術は、世代を超えて親から子、子から孫へと受け継がれており、その伝統と技術は今もなお続いています。

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