香川漆器の歴史を年代別にかんたんに紹介
1638年(寛永15年):水戸の国から松平頼重公が高松へ入封し、漆器や彫刻の製作を奨励し始める。
1806年(文化3年):玉楮象谷が高松市で生まれ、20歳で京都へ遊学し、新しい漆塗技法の分野を開拓。
江戸時代後期:高松藩による漆工芸の産業奨励が行われ、香川の漆芸が伝統産業として確立。
1950年(昭和25年):文化財保護法が制定され、伝統工芸技術の保護が始まる。
1974年(昭和49年):「伝統的工芸品産業の振興に関する法律」が規定され、香川の漆器が伝統的工芸品に指定されて漆器産業の振興が図られる。
香川漆器の歴史(詳細)
香川漆器の歴史は、江戸時代に松平頼重公が高松へ入封した1638年(寛永15年)に遡ります。頼重公の入封によって、漆器や彫刻の製作が奨励され、名工を育成する土壌が築かれました。この時期から香川は、漆器製作における技術的な進展と文化的な開花を見せ、特に玉楮象谷の活躍が顕著でした。玉楮象谷は1806年(文化3年)に生まれ、20歳で京都へ遊学し、多彩な才能を持つ人物として、新しい漆塗技法の分野を開拓しました。彼は3代の藩主に仕え、今日の漆器の始祖と称されるほどの作品を多く残しました。
また、漆芸は江戸時代後期に特に発展し、高松藩による産業奨励策が功を奏しました。この時代には、塗鞘や茶器などが職人によって作られ、香川の漆芸が伝統産業として確立しました。特に、後藤太平による漆塗柄の研究や、「後藤塗」と呼ばれる塗手法の創案などが香川漆器の技術発展に寄与しました。
香川漆器の伝統は、故磯井如真や故音丸耕堂(重要無形文化財保持者)といった巨匠によって引き継がれ、漆器組合や香川県立漆芸研究所を通じて若い世代の育成と伝統技法の保存・発展に努められています。漆器は、日本の伝統文化を代表する輸出品であり、「japan」には漆器の意味も込められています。香川の漆芸は、200年近くの歴史を持ち、独自の技法で箸や椀などから高級家具、美術工芸品に至るまで様々な製品が作られています。
この豊かな歴史背景と文化的な遺産は、漆芸が縄文時代から日本人の生活と深く結びついてきたこと、さらに飛鳥時代に大陸から伝えられた技術によって大きな発展を遂げ、奈良時代の正倉院には優れた漆工品が保存されていることなど、日本全国で漆芸が栄えてきたことを示しています。香川漆器の歴史は、江戸時代に確立された伝統と技術、そしてそれを支える人々の努力と才能によって築かれてきました。