本場大島紬

本場大島紬の歴史~上品で繊細な紋様~

本場大島紬の歴史を年代別にかんたんに紹介

奈良朝(710~793年) - 奄美大島で褐色紬が生産され始め、正倉院の献物帳に記録される。
9世紀 - 奄美が遣唐使の通路となり、中国大陸や南方地域との文化交流を深める。
13世紀 - 奄美大島で特定の染色技法が用いられ始める。
1716年 - 泥染めによる紬糸の製造が行われるようになる。
1720年 - 「絹布着用禁止令」が奄美の五島に出される。
江戸時代 - 大島紬が「琉球紬」としても知られ、高品質な織物として認識される。
1609年 - 薩摩藩が琉球王国と奄美大島を攻略し、奄美大島を直轄地とする。
明治時代(1868年~1912年) - 奄美大島が薩摩藩の支配から開放され、大島紬の生産が本格化する。
1883年 - 地機を高機に改善し、大島紬の生産効率が向上する。
昭和時代(1926年~1989年) - 第二次世界大戦後、奄美大島全域がアメリカの占領下に置かれ、紬の生産が一時困難を極めるが、復興に向けた努力が行われる。

本場大島紬の歴史(詳細)

奄美大島の本場大島紬の歴史は、奈良朝(710~793年)以前から始まるとされ、古代染色技法が奄美に伝わり、テーチ木などの草木を用いた染色が行われていたことが記録されています。特に、「南島から褐色紬が献上された」との記録は、奄美が古くから褐色紬の生産地であったことを示しています。9世紀頃、奄美は遣唐使の通路として重要な役割を果たし、中国大陸や南方地域との文化交流を通じて、奄美特有の染色技法が発展しました。

大島紬の製造技法に関する詳細は諸説ありますが、13世紀頃から特定の染色技法が用いられていたこと、1716年からは泥染めによる紬糸の製造が行われていたと伝えられます。泥染めの起源は複数の逸話によって語られ、偶然による発見が技法の確立につながったとされます。

「大島紬の起源」に関する神話的な説話も存在し、神代の時代から紬が作られていたという伝承があります。大正時代までには、特定の絣模様図案や織り方が確立され、奄美大島の特産品として、また文化的な価値を持つ工芸品としての地位を確立しました。江戸時代には、琉球王国や薩摩藩の政治的な動向に影響されつつも、大島紬は「琉球紬」としても知られ、高品質な織物として認識されていました。特に、1720年の「絹布着用禁止令」は、大島紬の生産と着用が既に広く行われていたことを示しています。

明治時代の開放後、大島紬の生産は本格化し、特に1883年には地機を高機に改善することで生産効率が向上しました。奄美大島特産のテーチ木を用いた染色技法や、明治末期からの文様の革新は、大島紬の技術と美学の進化を示しています。また、明治時代には奄美大島が薩摩藩からの支配を脱し、絣括りの技術が導入されたことで、より緻密な絣模様の製造が可能となりました。

昭和時代、特に第二次世界大戦後のアメリカの占領下では、紬の生産は一時的に困難を極めましたが、奄美大島の生産者たちは伝統を守りながら紬の復興に尽力しました。この歴史を通じて、奄美大島の本場大島紬は、その技術の革新、文化的な価値、そして生産者たちの不屈の努力によって、日本の伝統工芸品としての地位を不動のものとしています。

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