三線の歴史を年代別にかんたんに紹介
14世紀頃 - 中国の福建省から移民によって琉球に三弦が伝えられる。
15世紀 - 琉球王尚真により士族の教養の一つとして三線が奨励される。
17世紀初頭 - 琉球王国が三線を宮廷楽器として正式に採用。
1879年 - 廃藩置県により士族の地位を失い、三線が庶民へと伝わる。
1945年 - 沖縄戦により多くの文化財が失われる。
1955年 - 名器3挺が琉球政府時代の特別重要文化財に指定される。
1958年 - その他の名器8挺が重要文化財に指定される。
1972年 - 本土復帰に伴い、20挺の三線が沖縄県指定有形文化財になる。
1995年 - 9挺が追加され、20挺の三線が工芸品として指定される。
2012年 - 三線が沖縄県伝統工芸製品に指定される。
2018年11月 - 国の伝統的工芸品に指定される。
三線の歴史(詳細)
三線の歴史は中国の楽器である三弦から始まり、14世紀頃に福建省からの移民によって琉球へと伝えられました。この時期、琉球では既に中国や他のアジア地域との交易が盛んであり、琉球王朝もこの新しい楽器を宮廷音楽として採用しました。初期には主に宮廷や上流階級の間で親しまれ、高級な素材を使用して製作されたため、広く一般に普及するには至りませんでした。しかし、1879年の廃藩置県後、三線は庶民の間にも広まり、村の祭事や演劇などで使われるようになりました。
三線は、沖縄の音楽文化に欠かせない楽器として、様々な形で現代にも受け継がれています。特に、沖縄戦後の1955年には名器3挺が特別重要文化財に指定され、それに続き1958年までに8挺が重要文化財に指定されました。1995年にはさらに9挺が追加され、現在は20挺の三線が工芸品としての指定を受けています。2012年には沖縄県伝統工芸製品として、さらに2018年11月には国の伝統的工芸品に指定されました。三線は組踊や琉球古典音楽、民謡など多様なジャンルで用いられ、その魅力を世界に伝え続けています。