みなさんは「瀬戸物」という単語をご存知でしょうか?
この単語は、「瀬戸焼」という意味のほかにも、「陶磁器の総称」という意味も含んでいます。つまり、「陶磁器と言ったら、瀬戸焼」という暗黙の了解が、人々にはあったということです。
今回は、そんな「瀬戸焼」について、ご紹介します!
東海地方は日本最大級の”焼き物”産地
瀬戸焼は、その名の通り瀬戸市とその周辺で作られている陶磁器のことです。そして、その瀬戸市は愛知県にあります。もっと具体的に言うと、名古屋市の都心から北東に18kmの場所に位置しています。
私は、愛知県出身なので、「瀬戸市」と言われてもピンと来ますが、他県出身の方にとっては、「瀬戸市」よりも、「瀬戸焼」の方がよく耳にするかもしれませんね。
実は、この愛知県の瀬戸市周辺地域は、昔から”焼き物”の産地として有名でした。
瀬戸市の近くには、「常滑焼」で有名な常滑市や「美濃焼」で有名な多治見市があることからも、”焼き物”の産地だということがわかりますね。この地域では、きめ細やかで良質な陶土が産出するので、昔から須恵器や陶磁器がさかんに作られていたようです。
六古窯のひとつ
「六古窯」とは、平安時代から現代にまで生産が続く、代表的な六つの窯のことです。「瀬戸焼」もそのひとつ。他には、「常滑焼」「越前焼」「信楽焼」「丹波立杭焼」「備前焼」があります。
瀬戸焼は、鎌倉時代に、加藤四郎景正が、中国から釉薬の技術を持ち帰り、それを使い、陶磁器の製造を始めたことが起源とされています。そんなに昔から、現代に至るまでずっと作られているってすごいですよね!
「瀬戸焼」と聞くと、つい、お茶碗とか湯のみとか、壺とかを想像してしまいますが、実は、瀬戸焼の商品はそれだけではないのです。
みなさんは、「セト・ノベルティ」という言葉をお聞きになったことはありますか?
「セト」はもちろん「瀬戸」。
そして、「ノベルティ(novelty)」は、陶磁器製の置物や装飾品の総称のことをさします。例えば、古代人形や、動物や鳥の置物、観光地のおみやげ、花瓶、化粧具などがあり、それはいくらか欧米風のものが多いです。
つまり、瀬戸焼は、食器類や壺だけでなく、世界に向けた置物や装飾品などのノベルティも作っていたのです。
瀬戸焼がノベルティを作りだしたのは明治時代ですが、最盛期は戦後。戦後には、戦争の被害をあまり受けなかった瀬戸窯により、「セト・ノベルティ」が製造・輸出されたのです。
今でも、「瀬戸焼」は世界的にも有名になっていますが、それは、この「セト・ノベルティ」の流行もあってのことです。日本だけでなく、世界にまでその魅力は認められているのですね!
おわりに
いかがでしたでしょうか?
瀬戸焼についての豆知識が増えましたか?
時間的にも空間的にも大きな広がりを見せる「瀬戸焼」。ぜひ、機会がありましたら、お手にとって見てみてくださいね!