今回は日本の伝統的な食べ物・佃煮(つくだに)のお話です。身近で手頃ながら、そのルーツについて思いを馳せたことがありませんでした。ですが調べてみると、佃煮には意外と深い歴史的背景が隠されていたのです!
歴女のみなさん必見の、佃煮誕生の歴史をご紹介していきます。
生まれは東京。江戸っ子です
まずは佃煮の生まれから。現在は全国各地で親しまれる佃煮が、他でもない東京の名産品だってご存知でしたか?佃煮が誕生したのは江戸時代のことで、東京都中央区の佃島という地名にちなんで名付けられました。というのも、佃煮の始まりは、佃島の漁民の保存食なのです。
当時、漁民たちは江戸前で漁をしていましたが、その際捕れるのは売り物になる大きな魚ばかりではありませんでした。中にたくさんの小魚や貝類が含まれていたことは、容易に想像できますよね。「もったいない精神」の江戸っ子ですからそれらを捨てるなんてことはもちろんせず、甘辛く煮て食べていたそうなのですが、これがなんとも美味しい…!
また、冷蔵庫のない時代でしたが佃煮は保存がきくため、漁がうまくいかなかったときの備蓄食品としても重宝されました。そんな便利でおいしい佃煮の評判は江戸中に広まり、現代のように全国で愛される存在となったのです。
家康と佃煮の深い関係
佃煮は、あの徳川家康とも深い関係にあります。実は、佃煮の生みの親となった佃島の漁民たちはもともと、現在の大阪西淀川に位置する佃村という場所の出身です。彼らを大阪から江戸に移し、江戸で漁業をできるように権利を与えたのが家康です。
なぜかというと、家康と、佃村の漁民(のちの佃島の漁民)たちには心温まるストーリーがあったのです。1582年、かの有名な本能寺の変の際、信長と同盟関係にあった家康は、信長同様、危機に瀕していました。家康一行は敵の手から逃れるため、現在の大阪市住吉区の神崎川を渡ろうとしましたが、困ったことに船がない!
そんな家康の窮地を救ったのが、当時佃村で漁をしていた漁民たち。予備の漁船と、備蓄食品(のちの佃煮!)を献上したそうです。そんな救世主たちにお礼の意味で家康は、彼らに江戸での漁業権を与えたのでした。
まとめ
佃煮と家康の出会いは、こんなにも歴史的なものでした。つまり家康は佃煮を最初に食べた有名人といえます。漁船はもちろん、佃煮のパワーがなかったら、江戸時代はなかったかも?素朴でおいしい佃煮、次回は歴史に思いを馳せて味わってみてください!
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