江戸切子

江戸切子の歴史を簡単に解説【薩摩切子との違いも紹介】

今回は、江戸切子の歴史について解説していきます。しかし、歴史を語る場合には、難しい用語や堅苦しい表現が多くなりがちです。

そこで、前半は「重要なポイントを抜き出し、小学生もわかる言葉づかい」を意識して解説をしました。江戸切子が何なのか、「誰が」「いつ」「どこで」作ったのがきっかけになったのか興味がある方は参考にしてください。

簡単な言葉だけで江戸切子のわかりやすく解説

まずは名前ですが、「江戸切子=えどきりこ」と読みます。

次に江戸切子とは、ガラスの表面をけずり、模様(もよう)をつけたものを指します。この、ガラスの表面をけずり模様を付けることを「切子」と呼び、江戸(今の東京都)で作られた切子という意味で江戸切子と名前がつけられました。

江戸切子の商品はグラスや酒器(お酒を入れて飲む器)が多いですが、お皿や小鉢(こばち)、花びんや文鎮(ぶんちん)など、色々な江戸切子が作られています。

【小学生向け簡単解説】江戸切子の歴史

これから江戸切子の歴史について解説していきますが、難しい言葉や初めて聞く言葉が多くなります。ですので、江戸切子の歴史の中で重要なポイントを簡単な言葉を使って解説します。

江戸切子の歴史は以下の順番で、今の時代まで作られ続けています。

1、今から約200年くらい前に海外からカットグラスが日本に伝わってきた。
2、1834年に加賀屋久兵衛(かがやきゅうべい)という人が海外のカットグラスをまねしたことで、日本初の江戸切子が誕生した。
3、明治時代にイギリスからカットグラスの先生を呼んで、日本の職人さんに作り方を教えてもらった
4、大正時代に入ると、良いガラスを使って模様(もよう)をきれいにけずる事ができるようになり、江戸切子の品質が上がった。
5、2002年に日本を代表する伝統工芸品に選ばれた。(経済産業大臣指定伝統的工芸品)
※カットグラス(ガラスをけずりデザインをつけること)

大まかな歴史の流れは以上です。もう少し江戸切子について知りたい方は、このまま記事を読み進めていってください。また、歴史以外に江戸切子の魅力について知りたい方は以下のページを読んでみてください。

江戸切子(日本版カットグラス)の歴史

「切子」よりも「カットグラス」と言った方がイメージしやすいという方も多いですよね。それもそのはず、実は日本のカットグラス、つまり切子は、世界に比べてまだまだ歴史が浅いのです。江戸時代後期、鎖国中の日本における数少ない外交窓口・長崎に、西洋文化としてのカットグラスが伝わりました。

江戸時代後期(1834年)、大伝馬町にビードロ屋(ガラス商)を営んでいた加賀屋久兵衛という人が、イギリス製のカットグラスをまねてガラスの表面をけづり文様づけしたのが江戸切子の始まりだと言われています。

明治期

明治時代に入ると以下の2つの相乗効果により、江戸切子は盛んにつくられるようになりました。

・高度な技術を持つカットグラス技師の指導により、切子職人の技術が向上
・ガラス器が日本人の生活に普及しはじめた

明治14年にカット技術の指導者としてイギリスからカットグラス技師を招き、日本の職人が指導を受ける機会を設けました。また、カット技術を学んだ切子職人により、江戸切子をつくる技法が確立されました。

明治時代に確立された技法は現在まで受け継がれており、活用されています。

大正期

大正時代には、素材のガラス自体の品質が向上しました。ガラスの品質向上は具体的に以下の2つによるものです。

・カットグラス用のガラス素材の研究が進んだ
・クリスタルガラスの研磨技術が開発された

ガラス素材の研究やクリスタルガラスの研磨技術が開発されたことで、江戸切子本体の質も向上しました。

伝統工芸品に認定されている(現在)

明治期、大正期と向上してきたカット技術やガラスの品質が認められ、江戸切子は伝統工芸品として東京都・国の2つから指定されるようになりました。

・1985年に東京都の伝統工芸品産業に指定 (昭和60年)
・2002年に経済産業大臣指定伝統工芸品に指定 (平成14年)

こうして江戸切子は、今日の日本を代表する工芸品になるまで成長しました。

なんで「江戸」で発展したの?

江戸切子のすごさはわかったけど、それって江戸じゃなくても良かったんじゃない?なんで「江戸」で発展したの?と疑問に思うかもしれません。確かに、切子の技術があれば日本中どこでも良かったかもしれません。

現に薩摩藩(現;南九州)では、幕末に「薩摩切子」が誕生した後、江戸切子と区別される存在にまで成長したほどです。では、なぜ伝統工芸品となるまで江戸の切子技術が発展したのか。理由は大きく分けて以下の3つが考えられます。

・江戸でお店を営んでいた加賀屋久兵衛という人が初めて江戸で切子をつくった
・切子の技術を上げるために高いカット技術をもつイギリス人を東京に招いた
・福島でとれたガラスの材料を船で運ぶにあたって、荒川が流れている江戸は都合が良かった

1つ目と2つ目の理由は、【江戸切子の歴史(はじまり)】でも解説した通り、加賀屋久兵衛がイギリスのカットグラスをまねた点と、カットグラス技師を江戸に招いたことが挙げられます。

3つ目の理由は、歴史的背景について簡単に解説します。

ガラスの材料を福島から江戸に運んでいた

ここでは3つ目にあげた「ガラスの材料を船で運ぶにあたって、荒川が流れている江戸の方が都合が良かった」点に関して簡単に説明します。

江戸には、今でも存在する「荒川」という川が流れていていました。そして、福島でとれたガラスの材料を船で運ぶのために荒川が活用されていました。そのため、ガラスの材料を運ぶ都合上、荒川が流れている「江東区」や「墨田区」で江戸切子が発展したのだと考えられます。

むかしは現代と違い「電車」や「車」は、まだつくられていませんから、大きな荷物や大量の荷物は船で運んでいました。むかしは陸路より船の方が動きやすく、荷物を積んだり降ろしたりしやすい川や海沿いの町の方が発展していたのです。

江戸切子と薩摩切子、それぞれの特徴と魅力

江戸切子の影響を受けながらも独自の発展を遂げたのが「薩摩(さつま)切子」。こちらは当時の海外交易品として藩をあげて産業化されました。日本の切子を代表する江戸切子と薩摩切子は、互いに影響しあいながらそれぞれ魅力を増し、伝統工芸としての地位を確立するに至ったのです。

続いて、こうして出来上がった切子の特徴をご紹介していきます。まず双方のルーツとなった海外の手法は、透明なガラスに厚い色ガラスをかぶせて削るというもの。

これに近いのは、薩摩切子です。同じように厚い色ガラスをかぶせるのですが、ポイントはここから。薩摩切子は、その分厚い色ガラスに深さの異なる切子を施すことでグラデーションを出すのだそうです。

一方、江戸切子は後からかぶせる色ガラスが薄いのが特徴。無色透明なガラスに藍色や紅色といった薄いガラスをかぶせ、できた器に切子を施します。また双方の違いはデザインにもみられます。江戸切子は柔らかな曲線を描くのに対し、薩摩切子は直線的な模様が多いそうですよ。

きらめく江戸切子の模様たち

江戸切子の柄

出典:edokirikostore.com

さて、江戸切子にはどんな模様があるのでしょうか?
先ほどご紹介した代表的な模様の「魚子」は文字どおり、魚の卵をイメージしたデザインです。シンプルなだけに、ガラスを削るひと手間ひと手間に職人の腕が光ります。もともとはイギリスやアイルランドで18〜19世紀頃人気を集めた模様だそうで、「魚子」のルーツははるか遠い異国の地にあると言えるのです。

他にも竹かごの編目に似た「六角籠目(ろっかくかごめ)」や「八角籠目」、江戸小紋などにも用いられる伝統文様の「麻の葉」、細やかな交差の連続が美しい「菊つなぎ」などがあります。どれも繊細ながらシンプルで、あなたも魅了されること、間違いなしです。

最後に

イギリス製のカットグラスをまねてつくったのが始まりと言われている江戸切子。明治時代に確立されたつくり方が「伝統」として変わらずに現在まで受け継がれています。

しかし、「伝統」とは単につくり方を受け継ぐだけではありません。その時代に合わせた形で江戸切子をつくることもまた、「伝統を受け継ぐ」ということなのでしょう。新しい時代に合った形や様式に対応していく江戸切子の今後に目が離せませんね。

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