コラム

お茶は高級品だった?日本茶の歴史とは

みなさんは疲れたとき、友達に「そろそろお茶にしよう」と言ったことはありませんか?

この場合の、「お茶」とは必ずしも「日本茶」を指すわけではなく、もう少し広範囲の飲み物一般を指し、全体としては、「そろそろ休憩しよう」といった意味になりますよね。

このような文の意味が通るのは、「お茶」という語が日本人にとって非常になじみ深い言葉だからでしょう。現代の日本人は「お茶」文化になじみがありすぎるため、その言葉を広義へと発展させて用いることができるのだとも言えます。

今回は、そんな日本人になじみ深い「お茶」について、その文化と歴史に着目して見ていきたいと思います。

日本に伝わるのは平安時代初め

そもそものお茶の歴史は、紀元前の中国まで遡りますが、日本にお茶が伝わるのは、中国に渡る遣唐使や留学僧が盛んだった奈良時代から平安時代初期にかけてのこと。この頃には、お茶の他にも、中国学問や仏教、漢字など、今の日本の文化や芸術にも大きな影響を与えているものが多く伝来しています。

また、お茶の文化は、894年に遣唐使が廃止されて以後も日本からなくなることなく、しっかりと定着します。きっと、日本人にとってお茶の文化は違和感なく享受できるものだったのですね。ただし、この頃のお茶はとても貴重なものだったので、高僧や貴族の間でしかお茶の文化は栄えませんでした。

日本でお茶の栽培始まる

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日本でお茶の栽培が始まるのは、鎌倉時代から南北朝時代にかけて。
鎌倉時代の僧である栄西(えいさい)が、禅宗を身につけるために2度宋へ渡るのですが、彼はそのときに、中国で栄えていたお茶文化にも目を付けてきます。彼は、日本に帰国後、お茶の種類や、その効能、抹茶の製法などを説いたとされています。

そして、栄西の時代の後、華厳宗(けごんしゅう)の僧、明恵上人(みょうえしょうにん)は、京都の高山寺に茶を植え栽培し、お茶を奨励したとされています。彼が茶を栽培した場所は、今でも日本最古の茶園とされています。

鎌倉時代末頃には、このように、京都の寺院を中心にお茶の栽培が行われていたのですが、次第に、伊勢(三重県)や伊賀(三重県)、駿河(静岡県)、武蔵(埼玉県)など全国各体へとお茶の栽培は広がっていきます。

また、この頃から、お茶が社交の道具として機能するようになり、武士階級にもその文化が広がります。例えば、「闘茶」という、茶の原産地当てゲームのような、お茶の飲み比べ大会も行われていたようです。

「茶の湯」の完成

今でも行われている「茶道」は「茶の湯」がもとになっていることはみなさんご存知だと思います。「茶の湯」というのは、室町時代から安土桃山時代(15世紀から16世紀)にかけて完成された、お茶を飲むときの一連の作法です。

村田珠光(むらたじゅこう)、武野紹鴎(たけのじょうおう)、そしてかの有名な千利休によって、「茶の湯」は完成され、その時代の豪商や武士階級によって愛されます。豊臣秀吉は大のお茶好きとして有名ですよね。

このことから、この時代、お茶の作法を身につけることは、高いステータスを示すものとされていたということがわかりますね。

煎茶の誕生

煎茶が誕生したのは、江戸時代初期のこと。急須を用いてお茶を淹れるようになります。この方法は煎茶道として、禅宗の僧、隠元隆琦(いんげんりゅうき)が開祖したとされています。(ちなみに、彼は日本に「いんげん豆」をもたらしたことから、豆の名称にも名を残しています。)

この方法は、簡単にお茶を淹れることができることから、それまでの作法を重視する「茶の湯」に取って変わって、自由な気風を求める江戸文人の間で急速に広まりました。

一般庶民に広がる

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以上見てきたように、これまでのお茶は、主に地位の高い人に愛されていたものでしたが、江戸時代中期になると、お茶の文化は一般庶民にも広がります。

これには、この頃、永谷宗円(ながたにそうえん)という宇治田原湯屋谷(京都)の茶業家が、15年もの長い期間をかけて新しい煎茶法「蒸し製煎茶(宇治製法)」を発明したことが大きく関わってきます。

彼が発明した「蒸し製煎茶(宇治製法)」という製法は、それまでの、葉の善し悪しに関わらず一気に煮てから釜を用い作っていた煎茶とは違い、良い品質の生葉を蒸して揉み乾かして煎茶を作るので、香りや色などの質が格段に良いお茶を淹れることができます。それまでのお茶は茶色だったのですが、宗円の製法だと、お茶は瑞々しい緑色になったことから、青製と呼ばれ、人気を博しました。

このように、お茶の製造方法が改良されたこともあり、お茶が茶株仲間によく取引されるようになり、それが結果的に江戸の一般庶民の手にも届くようになるのです。

おわりに

いかがでしたか?
普段、何気なく飲んでいる「お茶」には、長くて奥深い歴史があることが、わかっていただけたのではないでしょうか?
それぞれの時代で、「お茶」の意味や位置づけは変わり続けていますが、どの時代においても、日本人にとっての「お茶」は、とても大切なものだったということがわかります。

これからも、日本には、長い歴史を有する「お茶」文化を大切にしてほしいですね!

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