二風谷イタの歴史を年代ごとにかんたんに紹介
江戸時代(安政年間: 1854~1859)
沙流川流域からの半月盆や丸盆が献上品として記録される。
1890年代(明治20~30年代)
二風谷の貝澤ウトレントクと貝澤ウエサナシが沙流川流域独自の文様を彫り込んだ盆や茶托等を製作・販売する。
『平取町史』(1974年)に、貝澤ウエサナシの作品が札幌で販売されたことが記述される。
1904年(明治37年)
アメリカの人類学者フレデリック・スターがアイヌ研究のために来日し、彼が集めた資料の中に二風谷のイタが含まれる。
1960~1970年代
イタが地域の生活において重要なものとして利用される一方、観光の隆盛とともに土産品としての役割も増してくる。
2013年
二風谷イタが北海道で初めて経済産業省の「伝統的工芸品」に指定される。
2019年11月
全国に253の「伝統的工芸品」指定産品が存在することが記録される。
二風谷イタの歴史(詳細)
二風谷イタはアイヌ文化における浅く平たい形状の木製の盆であり、沙流川(さるがわ)流域、特に平取町二風谷エリアに伝わるものは「伝統的工芸品」として指定されています。このイタは沙流川地域に住むアイヌの人々(sar-un-kur)をはじめとする人々によって、100年以上前から受け継がれてきました。江戸時代の安政年間には、沙流川流域からの半月盆や丸盆が献上品として記録されており、当時からこの地域で作られたイタが特別に評価されていたことがわかります。
アイヌの伝統文化では日常の道具を美しく飾る志向があり、カツラやクルミの木などを使用したイタの最大の特徴は、アイヌ独特の文様、例えばモレウノカ(渦巻の形)、アイウシノカ(棘のある形)、シクノカ(目の形)、ラムラムノカ(ウロコ文様)などが表面全体に彫り込まれていることです。
明治時代には、名工たちがこの地域独自の文様を彫り込んだイタやその他の木彫り品を製作し販売を開始しました。特に1890年代には、二風谷の貝澤ウトレントクと貝澤ウエサナシが独特の文様を彫り込んだ盆や茶托などを製作・販売していました。彼らの作品は現存しており、100年以上の間に変わらぬアイヌの文様入りのイタが作り続けられていることが伺えます。1904年にアメリカの人類学者フレデリック・スターがアイヌ研究のために来日し、彼が集めた資料の中には、二風谷のイタも含まれていました。
2013年3月、二風谷イタは北海道で初めて経済産業省の「伝統的工芸品」に指定されました。これは伝統的な技法と素材によって産地が一定の地域で成り立つ手づくりの工芸品を支援する仕組みで、2019年11月現在、全国には253の指定産品があります。北海道にはこの指定を受けた工芸品が以前はなく、アイヌ民具の技巧が正しく評価されてこなかった開拓史観による歴史叙述の背景も存在していたとされています。
また、イタは地域の生活に不可欠なものとして使われてきましたが、1960年代から70年代の高度経済成長期には観光との関連で土産品としても重要な役割を果たしてきました。現在、二風谷民芸組合が中心となり、工芸品の製造販売や技法の継承が行われています。