鈴鹿墨の歴史を年代別にかんたんに紹介
782-805年:鈴鹿墨の発祥。延暦年間に鈴鹿の山々で産した松脂を燃やして煤を取り、墨を作り始める。
江戸時代:徳川文化の隆盛とともに諸大名の家紋制定や寺子屋の発展が墨の需要を高める。紀州領土となった鈴鹿は紀州候から保護と厚遇を受け、墨染め用や紋書き用としての高級墨の開発が進む。
紀州領土時代:鈴鹿墨は墨染め用や紋書き用としての高級墨の開発が進み、文房具としての用途が増える。
現代:鈴鹿墨は高品質な銘墨を製造し、製墨に必要な原材料の容易な入手や弱アルカリ性水質による膠の最適な凝固力・粘度など、地理的及び気候風土の恵まれた環境で製造されている。
鈴鹿墨の歴史(詳細)
鈴鹿墨の歴史は、延暦年間(782~805年)に遡り、鈴鹿の山々で産出された松脂を燃やして煤を採取し、これを原料として墨を製造することから始まったと伝えられています。この技術は、延歴年間とも言われ、肥松を用いた煤の取り方がその起源とされています。江戸時代に入ると、徳川文化の隆盛に伴い裃の流行や小紋の発展などが墨の需要を高め、諸大名の家紋制定や寺子屋の発展により、上質な筆墨が求められるようになりました。この時代に紀州領土となった鈴鹿は、紀州候から保護と厚遇を受け、墨染め用や紋書き用としての高級墨の開発が進みました。
鈴鹿墨は、その後文房具としての用途が増え、高度な技術力と高品質を結集した銘墨の製造が行われるようになりました。高級墨には、本筋物の原料を用いた純松煙墨や純油煙墨などがあり、鈴鹿は製墨に必要な原材料の入手が容易であるだけでなく、弱アルカリ性水質により膠のゼリー強度や粘度を最適な状態にできるなど、地理的及び気候風土の諸条件に恵まれています。これにより、作品創作時の発墨が良く、上品で厚みがあり、基線とにじみが見事に調和する特性を持っています。また、紋書の特儀を発揮できるのも鈴鹿墨ならではの特徴です。
このように、鈴鹿墨は古くから発展を続けており、その製造技術や用途の多様化、高品質な銘墨の製造に至るまで、地理的な恵みと伝統技術が融合した歴史を持つ日本を代表する墨の一つです。