京鹿の子絞

京鹿の子絞の歴史~長い期間を経て作られる独特の立体感~

京鹿の子絞の歴史を年代別にかんたんに紹介

6〜7世紀:絞り染めの始まり。秦氏の一族が養蚕と絹織物の技術を京都に伝える。
室町時代〜江戸時代初期:辻が花染として絞り染めが盛んになる。
江戸時代中期:京鹿の子絞りの全盛期を迎える。
1976年:京鹿の子絞が経済産業省指定伝統的工芸品に指定される。

京鹿の子絞の歴史(詳細)

絞り染めは日本において千数百年前から行われてきた伝統的な染色技術で、衣装の紋様表現として用いられてきました。この技術の起源は6〜7世紀頃に遡り、秦氏の一族が京都の太秦地域に住み着き、養蚕と絹織物の技術を伝えたことから始まります。絞り染めは、布地を糸で強く絞ることによって「粒」や「しわ」を作り出す防染技法に基づいており、世界各地で様々な形で行われてきました。

京鹿の子絞りは、室町時代から江戸時代初期にかけて辻が花染として盛んになり、特に江戸時代中期にその全盛期を迎えました。この時期には、絹地に精緻な絞りを施した「京鹿の子」と呼ばれる技術が発展し、京都を産地とする「疋田鹿の子絞り染め」が総称として用いられるようになりました。江戸時代の絞り染めの着物は、裕福な町人文化の中で隆盛を見せ、総絞りの着物は当時の財力の象徴とされました。

しかし、江戸時代には度重なる飢饉や幕府による奢侈禁止令の影響で需要が減少し、新しい絹織物産地の出現や明治時代の遷都により京都の町全体が勢いを失うなど、苦境に立たされました。それでも、京鹿の子絞りは技術革新を図り、海外の先進技術の導入に積極的に取り組むことで近代化に成功しました。特にフランスからのジャカード織物などの技術を取り入れ、高級絹織物業としての地位を再確立しました。

現在、京鹿の子絞は経済産業省指定伝統的工芸品に指定され、その技術と美しさは現代においても高く評価されています。この長い歴史を通じて、京鹿の子絞りは日本を代表する伝統染織として、現代の私たちの生活を彩り続けています。

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