奈良墨の歴史を年代別にかんたんに紹介
飛鳥時代
- 日本で墨の製造が始まる。仏教文化の浸透と共に、写経の需要増により国内製造がスタート。『大宝律令』(701年)に造墨手の存在が記される。
平安時代
- 奈良の墨の製造が寺社を中心に続けられる。興福寺二諦坊で大量の墨が生産されるようになる。日宋貿易を通じて油煙墨が国内に入り、墨の品質と濃さで高く評価される。
室町時代初期
- 国内初の油煙墨が興福寺二諦坊で製造され、奈良墨の誕生。奈良の別称である南都に基づいて「南都油煙」と呼ばれる。
大同元年(806年)
- 空海が唐から筆とともに油煙墨の製法を持ち帰り、興福寺二諦坊での製造が始まる。
安土桃山時代
- 松井道珍が古梅園を創業。墨師が商売をするようになり、奈良墨の全国への普及が進む。
江戸時代
- 奈良町が商工業の中心地となり、約30軒の墨屋が存在。古梅園6代目の松井元泰が奈良墨の改良に務め、「古梅園墨談」で製法を記録。
明治時代
- 学校数の増加と書き方の必修化により、墨の需要が高まる。
昭和時代
- 職人不足による生産減少。しかし、習字教育の復活により生産・需要が再び増加。液体墨の登場により固形墨の需要が落ち込む。
平成30年(2018年)11月
- 奈良墨が「伝統的工芸品産業の振興に関する法律」に基づき、伝統的工芸品として経済産業省から指定される。
奈良墨の歴史(詳細)
日本の墨づくりの歴史は飛鳥時代にまで遡り、仏教文化の浸透とともに国内での墨の製造が始まりました。初期には松の木を燃やして採取した松煙を材料にした松煙墨が主流でしたが、平安時代になると奈良の墨、特に興福寺の二諦坊で大量生産されるようになります。この時代、奈良では寺社を中心に墨の製造が続けられ、中国から輸入された油煙墨との遭遇がありました。油煙墨は、菜種や胡麻、桐の油を燃やして造るもので、品質が高く貴重視されました。
室町時代初期には、国内で初めて油煙墨が興福寺二諦坊で製造され、奈良墨として知られるようになりました。大同元年(806年)には空海が唐から筆とともに油煙墨の製法を持ち帰り、奈良で製造が始まったとされています。奈良墨はその後、天正年間に松井道珍によって民間事業の基礎が固められ、全国各地から優秀な技術や工人が集まり、奈良に製墨所が多数誕生しました。この結果、奈良墨は国内シェア約90%を誇るまでに成長しました。
平成30年(2018年)11月には、奈良墨が「伝統的工芸品産業の振興に関する法律」に基づく経済産業省大臣の認定を得て、伝統的工芸品として指定されました。奈良墨の製造は、松井道珍が設立した古梅園をはじめとする製墨所で続けられており、長い歴史と伝統を誇ります。奈良墨の歴史は、日本の文化や技術の進化を反映しており、その製法と美しさは現代でも多くの人々に価値を認められています。