久留米絣の歴史を年代別にかんたんに紹介
1799年(寛政11年) - 久留米絣創成。
1813年(文化10年) - 板締による絵絣考案。
1839年(天保10年) - 絵糸書による絵絣完成。
1846年(弘化3年) - 小絣の創成。
1872年(明治5年) - 初めて紡績糸を使用。
1879年(明治12年) - 阿波藍の移入始まる。
1889年(明治22年) - 久留米紡績設立。
1901年(明治34年) - 絣鑑定所設立。
1932年(昭和7年) - 絣鑑定所廃止。
1938年(昭和13年) - 国策により綿糸割当生産となる。
1943年(昭和18年) - 綿糸割当廃止、久留米絣技術保存会発足。
1944年(昭和19年) - 技術保存のために綿糸特別提供を受ける。
1946年(昭和21年) - 終戦後第一回綿糸割当。
1949年(昭和24年) - 綿糸統制廃止により自由生産となる。
1957年(昭和32年) - 国の重要無形文化財に指定。
1960年(昭和35年) - (財)久留米絣技術保存会設立。
1976年(昭和51年) - 重要無形文化財久留米絣技術保持者会発足。
1989年(平成元年) - 技術研修生事業開始。
2012年(平成24年) - 公益財団法人久留米絣技術保存会へ名称移行。
久留米絣の歴史(詳細)
久留米絣の起源は約200年前、江戸時代の終わり頃に12〜13歳だった井上伝によって考案されました。彼女は藍染めの古着に白い斑点ができる現象に興味を持ち、このヒントを基に白糸を手で結び、藍で染めて織ることで、新しい白い文様の織物を生み出しました。この技術は井上伝によって広められ、久留米絣の発展に寄与しました。その後、久留米絣は多くの人々の創意工夫によって発展しました。特に、田中久重による板締絣、大塚太蔵による絵絣、牛島ノシによる小絣の技法が開発され、今日の多様な久留米絣が完成しました。
久留米絣の発展には、歴史的な出来事が多く関わっています。1799年に久留米絣が創成されて以来、技術の革新や絣鑑定所の設立、国の重要無形文化財に指定されるなど、数多くの節目がありました。また、久留米絣は農家の副業として織られ、明治以降は庶民の衣服として全国に知れ渡りました。200年以上の歴史を経て、久留米絣は日本を代表する織物として、その歴史的・芸術的価値が高く評価されています。今日でも、久留米絣はその織りなす美しさと、技術の継承を通じて、日本の染織文化を彩り続けています。