博多人形

博多人形の歴史~繊細で豊かな表情の伝統人形~

博多人形の歴史を年代別にかんたんに紹介

鎌倉時代(約800年前)
- 博多や鎌倉の華僑街や寺社で素焼きの人形を愛でる習慣が始まる。

1600年(安土・桃山時代)
- 黒田長政の筑前入国に伴い、多くの職人が集められ、現在の博多人形の伝統工芸の礎が築かれる。

江戸時代後半
- 正木宗七(宗七焼)、中の子吉兵衛、白水武平などの名工たちが活躍し、業界は活況を呈し、全国に流通するようになる。

明治時代
- 国際的な博覧会で高い評価を受け、「博多人形」として日本を代表する人形として知られるようになり、海外への輸出が始まる。
- 明治30年頃、主だった博多人形師たちが「温和会」を組織し、毎月定例会を催して作品の意見交換を行い、近代的な作品を生み出す。

現代
- 100名近い作家たちが伝統を活かした作品を制作し続けており、博多人形は福岡だけでなく日本の「美」を代表する存在として国内外から高い評価を受けている。

博多人形の歴史(詳細)

博多人形の歴史は、約800年前、鎌倉時代にさかのぼり、博多や鎌倉の華僑街や寺社で素焼きの人形を愛でる習慣があったことから始まります。1600年、黒田長政の筑前入国により多くの職人が集められ、その中から現在の博多人形の伝統工芸の礎が築かれました。江戸時代後半には、正木宗七(宗七焼)、中の子吉兵衛、白水武平といった名工たちが活躍し、業界は活況を呈し、全国に流通するようになりました。
明治時代に入ると、パリなどの国際的な博覧会で高い評価を受け、「博多人形」として日本を代表する人形として知られるようになり、海外への輸出も始まりました。明治30年頃には、主だった博多人形師たちが「温和会」を組織し、毎月定例会を催して作品の意見交換を行い、近代的な作品を生み出す競争が行われました。白水六三郎をはじめとする明治の名工たちが、その活動を通じて多くの作家を輩出しました。現在も100名近い作家たちが伝統を活かした作品を制作し続けており、博多の街のあらゆる所で人々は人形師の鼓動に触れることができます。
博多人形は、その歴史や背景を通じて、福岡だけでなく日本の「美」を代表する存在として国内外から高い評価を受けています。

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