この夏大ヒットした映画、「ちはやふる」。
人気漫画を原作にした青春物語で、原作・映画ともにファンの方も多いのではないでしょうか。
劇中、主人公の千早が情熱を注ぐのは、いわゆる「競技かるた」。
ここで使用されているのが、皆さんよくご存知の「小倉百人一首」ですよね。
長い歴史を持ちながら現代もなおこのように愛される、美しい和歌たち。
というわけで今回は、この「百人一首」をテーマに、日本文化に迫りましょう!
TOP100に選ばれた和歌たち
小倉百人一首が誕生したのは、今から約730年前。
当時詠まれた無数の和歌から、厳選した100首を取り入れて完成した和歌集です。
選んだのは、当時大きな力を持っていた公家の藤原定家。
彼が生きた時代が平安の末期から鎌倉の初期であることからも、百人一首の歴史の長さを実感できます。
さて、定家はどうして100の和歌を選ぼうと考えたのでしょうか?
定家は、歌仲間であった宇都宮頼綱(よりつな)に、彼の別荘「小倉山荘」の襖(ふすま)を装飾するよう求められたそうです。
その際用いたのが、100人の歌人の優れた和歌を1首ずつしたためた色紙でした。
こうして選ばれた100首の和歌は別荘の名にちなんで、「小倉山荘色紙和歌」「小倉色紙」などの呼び名を持ちます。後に「小倉百人一首」という通称が定着し、現在もそのまま呼ばれているというわけです。
恋多き歌人たち?!
ここで、おさめられた歌々のラインナップをちょっとのぞいてみましょう。
時の天皇の命令で編纂された和歌集を「勅撰和歌集」といいますが、小倉百人一首にある和歌も、この勅撰和歌集から選ばれています。勅撰和歌集の代表「古今集」から選ばれたものが24首と最も多く、続く「新古今集」の14首に10の差をつけています。そのほか8もの勅撰和歌集が名を連ね、当時の和歌文化の隆盛ぶりに驚くばかりです。
また、百人一首の魅力のひとつとして、「恋の和歌」の多さにも注目が必要です。実は100首のうちなんと、43首もの和歌が恋をテーマとして詠まれており、ロマンチックな歌人たちの生活が伺えます。今も昔も変わらぬ恋の悩みに、なんだか親近感を覚えますね!
百人一首とかるたの出会い
さて、和歌の集まりである百人一首が今のように「かるた」として遊ばれるようになったのはいつなのでしょうか?まず
、かるたの原型といわれる「貝合わせ」の誕生は平安時代。
二つに分けた二枚貝の片方を探すという単純な遊びでしたが、これが百人一首につながる重要なステップとなります。
時間が経つとこの「貝合わせ」は、貝に歌や絵を書いて遊ぶようになります。
上の句と下の句をバラバラに書いた貝を用意して、上の句を詠んで、下の句を取る。
これはもう、現代のかるた遊びに近いですよね。この際詠まれる歌として百人一首が使われるようになったのは戦国時代。
誕生から長い時間をかけて発展・定着した文化だということがわかります。
百人一首で楽しくお勉強!
百人一首の歴史、いかがでしたか?
はるか昔の優雅な遊びに、親しんでみたくなりますよね。
かるたをしながら百人一首を覚えると、古文や日本史の勉強に役立ちます。
室内で手軽にできる遊びなので、ぜひやってみてくださいね!