常滑焼は日本六古窯のひとつであり、長い歴史を持つ焼き物です。
江戸時代から現代に至るまで、その歴史と変遷をたどります。
目次
江戸時代の常滑焼:煎茶道具の普及
江戸時代には、庶民の間で煎茶が流行しました。
このころから日用雑貨を生産していた常滑でも、急須を中心とした煎茶道具の生産が始まりました。
安政元年(1854年)、杉江寿門堂が中国の宜興に近い朱泥を使用した急須制作に成功し、常滑焼の急須が広まり始めました。
明治時代:全国的な名声を得る
明治時代に入ると、常滑焼は近代化の波に乗り、上下水の配管となる土管の生産で全国的なシェアを伸ばしました。
陶芸家の鯉江方寿は中国の文人・金士恒を招き、常滑の職人たちに宜興と同じ急須の制作を指導させ、品質の高い急須が生産されるようになりました。
鉄分の多い常滑の土は、お茶を淹れるとお茶の苦味と反応し味をまろやかにする作用があり、次第に常滑の急須が人々に好まれるようになりました。
大正・昭和時代:焼き物産業の発展
大正から昭和時代にかけて、常滑焼は多様な製品を生産するようになりました。
例えば、商売繁盛で店先に飾られる三毛猫タイプの招き猫も、常滑焼が発祥とされています。
また、常滑焼はレンガやタイルなどの建材も生産するようになり、焼き物産業としてさらに発展しました。
現代の常滑焼:イベントや観光で注目される
現代では、常滑焼は観光資源としても注目されています。
毎年開催される「常滑焼まつり」は地元の名物イベントであり、多くの人が訪れています。
昭和42年から始まったこのまつりは、焼き物ファンが全国から集まり、急須や食器、置物、植木鉢などの即売会が行われます。
また、伝統工芸士による常滑焼の実演や手作り体験コーナーなど様々な催しも開催され、観光客に大変人気です。
常滑焼の歴史を支えた技術と素材
常滑焼の歴史を支えてきたのは、その独特の製法や素材です。朱泥は水に強く、急須の素材に適していることから、代表的な製品として急須が存在しています。
また、朱泥に含まれる酸化鉄は、お茶のタンニンと反応し、まろやかな味わいを引き出す効果があります。
このような特徴が、常滑焼が長い歴史を持ち続ける要因となっています。
まとめ:常滑焼の歴史は進化と発展の繰り返し
江戸時代から現代に至るまで、常滑焼は時代に合わせた製品の開発や技術の向上を重ねてきました。
その歴史は、煎茶道具の普及から始まり、全国的な名声を得るための努力、そして観光資源としての発展まで幅広く展開しています。
今後も常滑焼は、その歴史と伝統を受け継ぎながら、新たな価値を生み出し続けることでしょう。