奥会津昭和からむし織

奥会津昭和からむし織の歴史~涼しさ纏う最上の織物~

奥会津昭和からむし織の歴史を年代別にかんたんに紹介

室町時代(14世紀半ば〜16世紀半ば):からむし栽培が始まる。
1756年(宝暦6年):昭和村の青苧畑証文が記録され、最古の文書として確認。
江戸時代(1603年〜1868年):越後上布や小千谷縮の原料として、昭和村のからむしが使用される。越後の商人が買い付けに来る。
明治時代(1868年〜1912年):からむしの年間生産量が6トンに達する。
昭和時代(1926年〜1989年):戦争による食糧難や化学繊維の普及に伴い、からむし畑が他の作物に転作され、需要が減少。からむし栽培や織物が衰退の一途をたどる。
1991年:からむし生産と苧引きの技術が国の選定保存技術に指定される。
1994年:昭和村が「織姫体験制度」を開始し、からむし織の技術の継承と村の活性化を図る。
2013年:からむしに関する生産用具・製品が重要有形民俗文化財に指定される。
2015年:「奥会津昭和からむし織」が国の伝統的工芸品に指定される。

奥会津昭和からむし織の歴史(詳細)

「奥会津昭和からむし織」の歴史は、昭和村における自然と共存の精神と深く結びついています。この地域でのからむし栽培は、約600年前の室町時代頃に始まり、最古の文書記録としては宝暦6年(1756年)の青苧畑証文が残っています。からむしはイラクサ科の植物で、優れた繊維の原料となります。江戸時代には、からむしは越後上布や小千谷縮の原料として重宝され、越後の商人が買い付けに訪れるほどでした。昭和村は豪雪地域であり、農作物の生産が困難なため、からむし栽培は重要な商品作物となり、親から子へ、姑から嫁へと伝えられてきました。

しかし、時代の変遷とともに、からむし織は存続の危機に瀕しました。昭和時代には、戦争による食糧難や化学繊維の普及により、からむし畑が他の作物に転作され、需要が減少しました。技術者の高齢化や若者の村外への流出も影響しました。

この状況に対処するため、1991年にからむし生産と苧引きの技術は国の選定保存技術に指定され、1994年には昭和村が「織姫体験制度」を開始しました。この制度は、からむし織に興味のある女性を全国から募集し、研修生として実践的な作業を経験させるもので、多くの技術者を育成しました。後には「彦星」として男性も担い手として募集されるようになりました。そして、2013年にはからむしに関する生産用具や製品が重要有形民俗文化財に指定され、2015年には「奥会津昭和からむし織」が国の伝統的工芸品に指定される栄誉を得ました。これらの取り組みにより、からむし織の技術と伝統が次世代に継承されています。

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