奥会津編み組細工

奥会津編み組細工の歴史~素朴さ、繊細さを併せ持つ伝統木工品~

奥会津編み組細工の歴史を年代別にかんたんに紹介

縄文時代: 奥会津編み組細工の技法が存在したと考えられている。
1748年: 『会津農書写本』に編み組細工の記録が見られる。
1788年: 『東遊雑記』に編み組細工の記録が見られる。
1807年: 『伊南伊北谷四ヶ組風俗帳』に編み組細工の記録が見られる。
1965年: 編み組細工の従事者が減少し始める。
1972年: 三島町で生活工芸運動が開始される。
1981年: 生活工芸運動がより活発化し、編み組細工の伝承が進む。
2001年: 「三島町生活工芸運動友の会」が発足する。
2003年: 奥会津編み組細工が国から伝統的工芸品に指定される。
2023年: 100人以上の工人が奥会津編み組細工に従事している。​

奥会津編み組細工の歴史(詳細)

奥会津編み組細工は、日本の奥会津地方で長い歴史を持つ伝統工芸です。この地域は豪雪地帯であり、雪国特有の生活文化の中で編み組細工が発展しました。その技法は縄文時代から存在していたとされ、三島町の荒屋敷遺跡から発掘された編み組のかごの断片がこれを裏付けています。江戸時代の文献、特に1748年の『会津農書写本』や1788年の『東遊雑記』には、会津での編み組細工の記録が残っており、農作業や日常生活での使用が確認されています。

この工芸は元来、農作業や山仕事に用いる籠や笊として作られ、冬の間、親から子、子から孫へと技法が受け継がれてきました。しかし、1965年頃から職人の高齢化が進み、伝統的な技法の継承者が減少し始めました。この問題に対処するため、三島町は奥会津編み組細工の支援に乗り出し、地域産業としての定着を目指しました。町主催の展示会開催や、1981年からの生活工芸運動により、編み組細工は地域に広く浸透しました。この活動は、地域産業として編み組細工を定着させるためのものであり、2001年には「三島町生活工芸運動友の会」が発足しました。

現在では、100人を超える工人が奥会津編み組細工に従事しており、地域の文化と経済の重要な部分を担っています。2003年には、この技術は国から伝統的工芸品に指定され、技術と文化の重要な部分として認められています。

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