桐生織

桐生織の歴史~柔らかな肌触りと光沢~

桐生織の歴史を年代別にかんたんに紹介

713年(和銅6年):上野国の絁を朝廷に納めることが初めて記録される。
1333年(元弘3年):新田義貞が鎌倉幕府倒幕のために挙兵し、桐生で織られた絹が幟に使用される。
1600年(慶長5年):関ヶ原の戦いで徳川家康が桐生製の織物を使用。
1914年:第一次世界大戦中、桐生織物業が工場工業化を進める。
1977年:「桐生織」の7つの技法が伝統的工芸品として認められる。
2008年:桐生織物協同組合が地域団体商標「桐生織」を取得。
2020年:KIRYUtextileを国内外で商標登録。
2023年:現在。 ​

桐生織の歴史(詳細)

桐生織は、日本の群馬県に位置する桐生地域において、約1300年以上の歴史を持つ織物です。この地域の織物産業の起源は奈良時代に遡り、有史上での初出は『続日本紀』に記されています。和銅6年(713年)に上野国(現在の群馬県)で生産された絁(あしぎぬ)が朝廷に納められたことが最初の記録とされています。

桐生織には、様々な歴史的エピソードがあります。元弘3年(1333年)に新田義貞が鎌倉幕府を倒すために挙兵した際、桐生で織られた絹が幟(のぼり)に使用されました。これは中黒古旗と呼ばれ、平成25年に復元され新田神社に奉納されています。また、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、徳川家康の要請により、桐生で織られた絹が旗絹として使用され、東軍の勝利に貢献したと伝えられています。これらの出来事は桐生織の歴史的重要性を示しています。

桐生織は、昭和時代には特徴的なノコギリ屋根の織物工場が多く建てられたことも知られています。現在でも、この地域は繊維産地として知られ、企画から製品化までのデザイン、撚糸、染め、織り、編み、刺繍、縫製など、多くの工程の技術が集積されています。

白瀧姫伝説に関連して、桐生地域から宮仕えに行った男性が官女の白瀧姫に恋をし、彼女が桐生地域に移住し、地元の人々に糸作りや織物を伝えたという話も残っています。この伝説は桐生織の起源に関連して語られることが多いです。

また、産業の発展に伴い、明治時代にはジャカード機の導入や日本織物株式会社の設立など近代的な生産体制が確立されました。第一次世界大戦中の需要の増大や、昭和初期には桐生織物が組織の複雑な紋織物に変化し、第二次世界大戦中の国家統制による軍需工場への転換、戦後の復興を経て、桐生織物は和装と洋装の両方の生産機能を備えた総合産地としての地位を築き上げました。1977年には「桐生織」の7つの技法が伝統的工芸品として認められ、2008年には桐生織物協同組合が地域団体商標「桐生織」を取得し、国内外での商標登録を行いました。

桐生織は、その歴史と伝統を大切にしながら、時代に応じた柔軟な変化を続け、現在も日々進化を遂げています。

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