秩父銘仙

秩父銘仙の歴史~裏表のない伝統織物~

秩父銘仙の歴史を年代別にかんたんに紹介

8世紀:知々夫彦命が養蚕と機織の技術を住民に伝える。
明治時代中期:秩父銘仙が女性のお洒落な着物として人気を博す。
2013年:経済産業省によって伝統的工芸品に指定される。

秩父銘仙の歴史(詳細)

秩父銘仙の歴史は、崇神天皇の御代、およそ8世紀ごろに知々夫彦命が養蚕と機織の技術を住民に伝えたことに起源を持つとされています。秩父地域は山に囲まれた地形で稲作に適していなかったため、養蚕業が盛んになりました。この地域で生産された規格外の繭を使用して「太織」と呼ばれる野良着が作られ、「鬼秩父」とも呼ばれ、大衆の普段着として広く使われました。

太織はその後、「秩父銘仙」と名前を変え、新しい「ほぐし捺染」技術の開発によって大胆で華やかなデザインの織物へと進化しました。秩父銘仙は特に大正から昭和初期にかけて女性の間で手軽なおしゃれ着として全国的に人気を博し、秩父地域の基幹産業となりました。当時、市民の約70%が織物関連の仕事に関わっていたと言われています。

秩父銘仙は明治中期から昭和初期に最盛期を迎え、高品質なものへと改善・改良が重ねられました。しかし、昭和10年代には関連工場が320軒から6軒程度に減少しました。現在、秩父銘仙は経済産業省によって2013年から伝統的工芸品として指定されています。この長い歴史を通じて、秩父銘仙は伝統を受け継ぎつつも時代に応じた変化を遂げてきました。

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