行田足袋の歴史を年代別にかんたんに紹介
江戸時代中期:行田足袋の始まり。『行田町絵図』に3件の足袋屋が描かれる。
1657年:明暦の大火後、革の足袋から綿の足袋が主流になる。
明治時代:ミシンの導入により足袋生産量が増大。
大正時代:織布業や染色業、ミシン屋などが行田市内で発展。
2015年:「行田の足袋製造用具及び製品」が国の登録有形民俗文化財に登録。
2019年:行田足袋が国の伝統的工芸品に指定される。
2020年:「行田の足袋製造用具及び関係資料」が国の重要有形民俗文化財に指定される。
行田足袋の歴史(詳細)
行田足袋の歴史は、約300年前の江戸時代に始まります。この時代の忍藩(現在の行田市)では、松平のお殿様によって足袋作りが奨励されていました。江戸時代中期に描かれた『行田町絵図』には、既に3件の足袋屋が描かれており、この時期には足袋生産が盛んであったことが分かります。利根川、荒川に挟まれた行田市周辺は、綿や藍の栽培に適した土地であり、これらを原料として足袋づくりが始まりました。
足袋生産は当初、手間のかかる手作業で行われており、下級武士や農家の女性も副業として足袋作りに携わっていました。江戸時代の五街道の一つ、中山道が通っていたことも足袋の普及に貢献しました。明暦の大火(1657年)以降、革の足袋から綿の足袋が主流になり、当初は紐で結ぶ形式でしたが、後に現在のコハゼで留める形に変わりました。
足袋の二股デザインには複数の説がありますが、草履や下駄に合わせるため、または武士が戦闘時に力を込めやすくするために二股に分かれたとされています。
明治時代に入ると、ミシンの導入により生産量が増大し、日露戦争の好景気を背景に多くの足袋工場が建設されました。大正時代には行田市内で織布業や染色業、ミシン屋など、足袋生産に関わる産業が発展しました。
行田足袋は2019年に国の伝統的工芸品に指定され、足袋製造用具及び製品は2015年に国の登録有形民俗文化財、2020年に重要有形民俗文化財に指定されました。これにより、行田足袋に関わる文化や伝統も価値が認められています。
現代では靴下の普及により足袋の需要は減少しましたが、和装に欠かせないアイテムとして国内外に生産が続けられています。