房州うちわ

房州うちわの歴史~風薫る夏の風物詩~

房州うちわの歴史を年代別にかんたんに紹介

1781年:江戸時代の天明年間に房州でうちわ作りが始まる。
1884年:岩城惣五郎が東京から団扇職人を招き、紙を貼っていない団扇骨の生産を那古で始める。
1912年:大正時代の初め、房州で「マド」と呼ばれるうちわの骨作りまでの加工が可能に。
1923年:大正12年の関東大震災で東京のうちわ問屋が大火に見舞われ、房州での一貫生産が始まる。
2003年:平成15年、房州うちわが千葉県唯一の経済産業大臣指定伝統的工芸品として認定される。

房州うちわの歴史(詳細)

「房州うちわ」の歴史は、千葉県の房州半島南部、特に房総半島として知られるこの地域の独特な文化と技術に根ざしています。房州という名称は、中世以来の関東地方の名であり、房総半島南部を指していました。この地域は、温暖な気候と豊かな自然に恵まれ、特に女竹(めだけ)と呼ばれる節間の長い良質な竹が自生していました。

房州うちわ作りの歴史は江戸時代後期にさかのぼります。1781年から1788年にかけての天明年間に、この地域で初めてうちわ作りが始まったとされています。明治時代に入ると、房州では明治10年頃に那古町(現在の館山市那古)で本格的なうちわ生産が始まりました。岩城惣五郎という人物が、東京から職工を雇い、うちわの生産を始めたことで、房州うちわの製造が一大産業として成長しました。その後、大正時代に入ると、大正12年の関東大震災で東京のうちわ問屋が大きな被害を受けたことから、房州での一貫生産が始まり、「房州うちわ」ブランドが確立されました。

房州うちわの特徴としては、基本形は丸型、卵型、柄長、大型などがあり、特注デザインのものも作られています。表紙の素材には和紙以外に布生地も使用されています。昭和初期には年間700万本ものうちわが生産され、1000人以上が内職として携わっていました。しかし、電化製品の普及と賃金の高騰に伴い、実用品としてのうちわの需要は減少し、現在では年間40万本程度にまで減少しています。それでも、平成15年には千葉県唯一の経済産業大臣指定伝統的工芸品として認定され、新しい価値を見出そうとしています。

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