村山大島紬

村山大島紬の歴史~素朴な風合いの伝統民芸品~

村山大島紬の歴史を年代別にかんたんに紹介

1500年以前:この地域での織物生産の開始(推測)。
江戸時代中期:村山大島紬が創り出される。
大正8年:板締染色の技術が群馬県伊勢崎から導入され、絹織物が増加。
大正10年:八王子織物同業組合に村山大島部会が結成。
1920年:村山大島絣が生産の中心となる。
昭和4年:村山織物同業組合が独立。
1967年(昭和42年3月):東京都指定技術工芸品に指定される。
1975年(昭和50年2月):通商産業大臣指定伝統的工芸品に指定される。 ​

村山大島紬の歴史(詳細)

「村山大島紬」の歴史は、武蔵村山市とその周辺地域、特に狭山丘陵の南麓に位置する村山地域にそのルーツを持ちます。この地域は古代から人々が生活しており、紡錘車などの出土品からは1500年前から織物が生産されていたと推測されています。江戸時代の中期には、木綿紺絣の産地として知られ、その後の明治時代から大正時代にかけて、織物の生産と技術開発が進んでいきました。

村山大島紬の発展には、村山紺絣と砂川太織りという二つの織物の流れが合流したことが大きな役割を果たしました。大正8年ごろ、板締染色の技術が伊勢崎から導入され、絹織物の生産が増え始めました。1920年代には、村山大島絣が生産の中心となり、その品質と堅牢さが高く評価されるようになりました。この時期、縞銘仙、乱絣、経無地などの多様な織物を経て、経緯絣の絹織物へと変わっていきました。

大正10年には八王子織物同業組合に村山大島部会が結成され、昭和4年には独立して村山織物同業組合となりました。この地域独特の手織機を用いて織り上げられた村山大島紬は、正絹板締め絣織物で、経緯の絣糸を巧みに染め分けて織り出され、精緻さと奥ゆかしさを兼ね備えています。また、表裏がないという特徴も持っています。昭和42年3月に東京都指定技術工芸品に指定され、昭和50年2月には通商産業大臣指定伝統的工芸品として指定されました。これらの指定は、村山大島紬の生産とその重要性を改めて認識するきっかけとなりました。

-村山大島紬